光瑞山天王院。横浜市鶴見区寺谷
天王院の概要
天台宗寺院の天王院は、光瑞山正法寺と号します。天王院は、天安2年(858)に慈覺大師が草創したと伝えられ、祐山(寛永9年1632年寂)が文禄3年(1595)に中興したといいます。
山号 | 光瑞山 |
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院号 | 天王院 |
寺号 | 正法寺 |
住所 | 横浜市鶴見区寺谷1-2-1 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
天王院の縁起
天王院は、天安2年(858)に慈覺大師が草創したと伝えられ、祐山(寛永9年1632年寂)が文禄3年(1595)に中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による天王院の縁起
(鶴見村)天王院
村内海道の右がはにあり。天台宗にて同郡駒林村金蔵寺末光瑞山正法寺と号す。祐山といひし僧文禄3年当寺を起立し、寛永9年8月28日寂すと。本尊は弥陀の立像にて長2尺余是は恵心僧都の作と云傳ふ。客殿は7間3尺に奥行6間東向なり。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿 佛寺編」による天王院の縁起
天王院
位置
天王院は光瑞山正法寺と號して、鶴見區鶴見町二百十四番地に在る。境内は一千三百九坪餘。官有地。 橘樹郡日吉村駒林金藏寺末で、寺格は五等三級である。
沿革
天安二戊寅年、慈覺大師の草創した所と云ふ。其後兵亂によつて頽破したのを、文祿三甲午年、僧祐山が其の衰退を惜んで、之を再興した。故に祐山を當寺中興の開山とする。元祿九年四月二日、囘祿の厄に遭つて、堂宇・什寶等悉く燒失、其後延享三年に至つて、傅海が再建を遂げた。當寺は元、鶴見町五百四十番地東海道鐵道の沿線にあつた爲め、明治四十四年三月三十一日、圖らずも汽車の煤煙のために火災を起し、堂宇を燒失して、僅に本尊及び過去帳を殘し、舊記・什寶を併せて悉く烏有とした。依つて境地を他に移轉するの議が起り、第二十六世の生方晃常が、大正元年八月、官の許可を得て、今の境内に移し、再建を遂げ、舊觀を改めて、一層莊嚴なる道場となした。
本尊
本尊は阿彌陀如來で、木造立像、長二尺三寸、傳に惠心僧都作である。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
天王院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿