重養山正楽寺。玉川八十八ヶ所霊場
正楽寺の概要
真言宗智山派寺院の正楽寺は、重養山と号します。正楽寺の創建年代等は不詳ながら、市場村遍照院を中興した尊秀(明暦2年1656年寂)が当寺を創建したともいいます。玉川八十八ヶ所霊場15番です。
山号 | 重養山 |
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院号 | - |
寺号 | 正楽寺 |
住所 | 横浜市鶴見区矢向3-6-23 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正楽寺の縁起
正楽寺の創建年代等は不詳ながら、市場村遍照院を中興した尊秀(明暦2年1656年寂)が当寺を創建したともいいます。
新編武蔵風土記稿による正楽寺の縁起
(矢向村)正楽寺
村の中央にあり。重養山と号す。新義真言宗神奈川宿金蔵院末、開山及基立の年歴等を傳へず。或は市場村遍照院の中興尊秀此寺を草創せりともいへり。此事他の記録に傳へざれば慥ならず。客殿三間に三間半。本尊大日如来を安ず。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿 佛寺編」による正楽寺の縁起
正樂寺
位置
正樂寺は重養山と號し、鶴見區矢向町九百四十六番地に在る。境内は四百三十二坪。民有地。市内神奈川町金蔵院末で、寺格は二十四等地である。
沿革
草創の年代竝に開山等も不明である。從來、無檀無緣に均しく、為に住僧もなく、多くは本寺其他で兼務する所となつて居た。風土記稿に、「開山及基立ノ年曆ヲ傳ヘズ。或ハ市場村遍照院ノ中興尊秀、此寺ヲ草創セリトモ云ヘリ。此事他ノ記錄ニ傳ヘザレバ慥ナラズ」とある。從來四間、三間半の本堂、竝に庫裡等が在つたが、大正十二年九月一日の大震災に倒壞したので、兼務住職 府下大井町來福寺現住。本多隆賢が、昭和三年十二月、本堂を再建した。
本尊
本尊は大日如來の木製坐像 長凡一尺二寸。で、作は不詳である。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
正楽寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿