長窪山正覚寺。都筑橘樹十二薬師霊場
正覚寺の概要
天台宗寺院の正覚寺は、長窪山總泰院と号します。正覚寺の創建年代等は不詳ながら、村民清左衛門の先祖が創建したといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領5石1斗の御朱印状を拝領したといいます。都筑橘樹十二薬師霊場7番です。
山号 | 長窪山 |
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院号 | 總泰院 |
寺号 | 正覚寺 |
住所 | 横浜市都筑区茅ヶ崎東3-12-1 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正覚寺の縁起
正覚寺の創建年代等は不詳ながら、村民清左衛門の先祖が創建したといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領5石1斗の御朱印状を拝領したといいます。
新編武蔵風土記稿による正覚寺の縁起
(茅ヶ崎村)正覺寺
境内五萬七千六百坪餘、除地、村の巽の方にあり、長窪山總泰院と號す、天台宗にて橘樹郡駒林村金蔵寺末、村民清左衛門が先祖の起立する所なりと云のみにて、開山等の事蹟詳ならず、慶安二年四月十七日、寺領五石一斗の御朱印を賜はれり、本尊虚空蔵坐像にして、長一尺ばかり、春日の作なりと云、客殿は七間半に六間東向なり。
寺寶。
太閤秀吉制札一枚。小田原征伐の時のものなり、その文左にのす。
禁制
武蔵國小机之内千ヶ崎之内総泰院同観音堂
一軍勢甲乙人等濫妨狼藉事
一放火事
右條々堅令停止訖、若於違犯之輩者、忽可被處厳科者也。天正十八年四月日
薬師堂。客殿に向ひ左にあり、二間に三間半、薬師は木の立像にて長二間ばかり、惠心僧都の作なりと云。
山王祠。寺に入て正面にあり。
稲荷社。門に入て左の方なる山上にあり。(新編武蔵風土記稿より)
正覚寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿