醫徳山長王寺。武南十二薬師如来霊場
長王寺の概要
高野山真言宗寺院の長王寺は、醫徳山と号します。長王寺の創建年代等は不詳ながら、浄秀が開山したといいます。かつては醫王寺と号し、当地より南方鶴見川の傍にあったといいますが、元和3年(1617)に当地へ移転して再興したといいます。武南十二薬師如来霊場5番です。
山号 | 醫徳山 |
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院号 | - |
寺号 | 長王寺 |
住所 | 横浜市都筑区池辺町2827 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長王寺の縁起
長王寺の創建年代等は不詳ながら、浄秀が開山したといいます。かつては醫王寺と号し、当地より南方鶴見川の傍にあったといいますが、元和3年(1617)に当地へ移転して再興したといいます。
新編武蔵風土記稿による長王寺の縁起
(池邊村)長王寺
除地、三段六畝、村の中央にあり、古義真言宗、橘樹郡鳥山村三會寺の末、醫徳山と稱す、客殿六間に五間南向なり、本尊不動木の坐像長一尺五寸なるを安す、開山は浄秀と云、起立の年及び寂年等を傳へず、この寺もと南の方鶴見川の傍にありしが、いつの頃か今の地に移せり、古き棟札によれば、古へは醫王寺といひしとおぼゆ、其棟札左にのす。(棟札文省略)
これは古き文を元和三年再興の時新に寫して、其裏には再興のことをしるせし棟札なり、裏面の文はここに略す。
薬師堂。二間に三間、境内乾の方にあり、薬師は木の立像にて長二尺五寸、行基菩薩の作なりと云、前に山門を立、三間に二間。(新編武蔵風土記稿より)
長王寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿