光照山宗忠寺。小笠原和泉守宗忠を開基
宗忠寺の概要
浄土宗寺院の宗忠寺は、光照山龍香院と号します。宗忠寺は、松平忠吉の家臣小笠原和泉守宗忠(龍香院欣清法心、元和4年1618年卒)が父伊豫守の法諡より長隆寺と号して文禄3年(1594)に創建、小笠原和泉守宗忠を開基、雲興を開山とするといいます。
山号 | 光照山 |
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院号 | 龍香院 |
寺号 | 宗忠寺 |
住所 | 横浜市都筑区池辺町2704 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
宗忠寺の縁起
宗忠寺は、松平忠吉の家臣小笠原和泉守宗忠(龍香院欣清法心、元和4年1618年卒)が父伊豫守の法諡より長隆寺と号して文禄3年(1594)に創建、小笠原和泉守宗忠を開基、雲興を開山とするといいます。
新編武蔵風土記稿による宗忠寺の縁起
(池邊村)宗忠寺
除地、四段、村の中央にて中根源十郎が采地にあり、浄土宗、古は京都知恩院末なりしが、其後いつの頃か橘樹郡小机村泉谷寺末になれり、光照山龍香院と號す、客殿六間半に六間南向、本尊彌陀木の坐像長二尺餘、開山雲興寂年を詳にせず、開基は松平忠吉君の臣、小笠原和泉守宗忠、法名龍香院欣清法心と云、元和四年八月十五日卒す、文禄三年宗忠己が領地に當寺を建立し、慶長の末に至り采地を除かる、天正の頃までは當寺を長隆寺と號せしよし、これは宗忠の親父伊豫守の法諡によりて唱へしと云、其頃は寺領千五百石にて、塔中も浄生院・良徳院・了生庵・當光院の四ヶ寺ありしといへり。
辨天祠。門を入て右小池の邊にあり。
稲荷祠。同邊にあり。
地蔵堂。門前にあり。(新編武蔵風土記稿より)
宗忠寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿