久松山長福寺。横浜市都筑区仲町台
長福寺の概要
曹洞宗寺院の長福寺は、久松山と号します。長福寺は、自山應大(天正15年1587年寂)が開山したといいます。長福寺は、承平年間(931-938)に平将門が祀ったという熊野社の別当を勤めていたといい、熊野社領として社領5石余の御朱印状を慶安2年(1649)に拝領したといいます。
山号 | 久松山 |
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院号 | - |
寺号 | 長福寺 |
住所 | 横浜市都筑区仲町台4-8-10 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長福寺の縁起
長福寺は、自山應大(天正15年1587年寂)が開山したといいます。長福寺は、承平年間(931-938)に平将門が祀ったという熊野社の別当を勤めていたといい、熊野社領として社領5石余の御朱印状を慶安2年(1649)に拝領したといいます。
新編武蔵風土記稿による長福寺の縁起
(大熊村)
熊野社
境内御朱印地の内、村の西にあり、社は二間四方東に向り、本地佛彌陀木の立像長四寸許、縁起によるに、當社は承平年中、平将門宿願によりて、不思議の靈夢を蒙り、此の社に七日参籠せる夜(コケラ)不動閻浮檀金の観音を授かり、夫より将門威勢盛になれりとぞ、其後天文年中に至り、橘樹郡篠原村の城主師岡越前守伽藍を再興せしかど、戦國の折なれば次て修理を加ふる者なく、自ら破損せり、御打入の後、慶安二年社領五石餘の御朱印を賜ふ、例祭は年々三月五日なり。
別當長福寺
本社に向て右にあり、禅宗曹洞派、橘樹郡末吉村寶泉寺末、久松山と稱す、本堂七間に五間南向なり、本尊釋迦木の坐像長一尺二寸許、今自山應大と云僧を以て開山とせり、此人天正十五年二月十日寂すと云、さればこれより前にも社人の別當などありしなるべし。
末社
毘沙門堂。本社の傍にあり
稲荷社。本社の南にあり。(新編武蔵風土記稿より)
長福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿