盛翁寺。足柄上郡山北町にある曹洞宗寺院
盛翁寺の概要
曹洞宗寺院の盛翁寺は、廣澤山と号します。盛翁寺は、天文元年(1532)に創建、香集寺3世天光佛覺大弘禅師(天文22年1553年寂)が竹渓庵と号して開山したといいます。本寺2世関鈯が、酒匂川辺(八町河原)から小名萩が萩原へ移して現寺号に改号、宝永5年(1708)の水害により堂宇を焼失し、当地へ移転していいます。
山号 | 廣澤山 |
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院号 | - |
寺号 | 盛翁寺 |
住所 | 足柄上郡山北町山北2305 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
盛翁寺の縁起
盛翁寺は、天文元年(1532)に創建、香集寺3世天光佛覺大弘禅師(天文22年1553年寂)が竹渓庵と号して開山したといいます。本寺2世関鈯が、酒匂川辺(八町河原)から小名萩が萩原へ移して現寺号に改号、宝永5年(1708)の水害により堂宇を焼失し、当地へ移転していいます。
「山北町史通史編」による盛翁寺の縁起
盛翁寺
廣澤山と号す曹洞宗の寺で、本山は香集寺である。天文年間に天光がはじめて村内の酒匂川のあたり(字八町河原という)に庵を営んだのがはじまりであり、後住の関鈯が小名萩原に一寺を建て今の寺号を称した。宝永五年(一七〇八)水害にあい諸堂を流失したため、また現在の場所に再建したという。鐘楼には安永五年(一七七六)鋳造の釣鐘がある。(「山北町史通史編」より)
新編相模国風土記稿による盛翁寺の縁起
(川村山北)
盛翁寺
廣澤山と號す、(本寺前に同じ、:曹洞宗、川村向原香集寺末、)天文元年僧天光(本寺三世即前寺開山なり、)初て村内酒匂川の邊(字八町河原と云、)に庵を營み、竹渓と號す、住持する事數年、後住僧關鈯、小名萩原に遷して一寺となし、今の寺號を稱す、寶永五年、水殃に罹り、諸堂流失せしかば、又爰に移して再建せしと云、(此事延享三年の棟札に記せり、)本尊釋迦を安ず、
△鐘樓。安永五年鑄造の鐘を掛く、
△天神社
△稲荷社(新編相模国風土記稿より)
盛翁寺の周辺図
参考資料
- 「山北町史通史編」
- 新編相模国風土記稿