子合日吉神社。厚木市下荻野の神社

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子合日吉神社。厚木市下荻野の神社

子合日吉神社の概要

子合日吉神社は、厚木市下荻野にある神社です。子合日吉神社の創建年代等は不詳ながら、下荻野字子合に鎮座、徳川家康の関東入国に際して天正19年(1591)社領1石の御朱印状を受領していました。当時は妙見社と称し、末社として山王社を祀り、下荻野村の鎮守とされていました。明治3年日吉神社と改称、明治6年村社に列格していました。

子合日吉神社
子合日吉神社の概要
社号 日吉神社
祭神 倉稲魂命
相殿 -
境内社 -
祭日 例大祭9月9日
住所 厚木市下荻野547
備考 -



子合日吉神社の由緒

子合日吉神社の創建年代等は不詳ながら、下荻野字子合に鎮座、徳川家康の関東入国に際して天正19年(1591)社領1石の御朱印状を受領していました。当時は妙見社と称し、末社として山王社を祀り、下荻野村の鎮守とされていました。明治3年日吉神社と改称、明治6年村社に列格していました。

新編相模国風土記稿による子合日吉神社の由緒

(下荻野村)
小名子合村。古は小合に作る、按ずるに古澤村本照寺に掛し、永禄九年の鰐口に小合大工清次と彫れり、又昔此所に毛利松と呼古木二株ありしに、享保中枯たりしを天明の頃其根を掘取し時、兜の鉢三を得て、今に村民家蔵す、
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妙見社
村の鎮守なり、熊野・天神・稲荷・山王を相殿に置、祭禮九月九日、社領一石は天正十九年御朱印を附せらる、社後に妙見松と呼ぶ老樹あり(幹屈蟠し圍凡一丈、枝葉十間許に繁茂す、圖の如し、)
末社。山王
鐘樓。元禄十年の鑄鐘を掛く、
別當妙見寺。永照山と號す、曹洞宗(三田村清源院末、)開山玉山(本寺六世天正五年八月十日卒、)本尊虚空蔵、肚裏に妙見を安ず
秋葉神明合社(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による子合日吉神社の由緒

創立年不詳。日本武命東夷征伐の折勧請ありと云伝う。天正十九年(一五九一)徳川家康公より社領一万石賜与せらる。明治六年七月村社に選定せられ、大正二年本殿の増築を行う。(神奈川県神社誌より)

「厚木市史史料」による子合日吉神社の由緒

日吉神社(下荻野字子合551)
「村社、日吉神社鳶尾山の東麓の高地、下荻野子合字神谷にあるのがそれである。創立、年月不詳、旧妙見社と称し、妙見寺の持社であったが、同寺の廃せらるるや、三田清源院の持社となった。慶応三年十月今の社号に改め、神官の司る所となった。天正十九年徳川家康より、社領一石を賜り、明治六年に至って村社に昇格した。社の後に、妙見松と呼ぶ大老松があったが今はない。」と愛甲郡制誌に記されている。改号は明治三年が正確である。(「厚木市史史料」より)


子合日吉神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿
  • 神奈川県神社誌
  • 「厚木市史史料」