東福山清源院。伝伊東入道祐親開基
清源院の概要
曹洞宗寺院の清源院は、東福山と号します。清源院は、伊東入道祐親(法号東林院殿寂心居士)を開基として、天台宗の僧侶垣舜が永承5年(1050)伊豆天城下に創建、伊東家代々の菩提寺だったと伝えられ、その後伊東氏の子孫が当地に住むようになり、菩提寺を当地へ遷したといわれます。嘉吉3年(1443)に天巽慶順(明応7年卒)が曹洞宗寺院に改めて開山、徳川家康の関東入国に際し、寺領4石の御朱印状を天正19年(1591)受領しています。往時には末寺三十余カ寺・孫末寺百三十五カ寺を擁した中本寺格の寺院でした。
山号 | 東福山 |
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院号 | 清源院 |
寺号 | - |
本尊 | 薬師如来像 |
住所 | 厚木市三田635 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
清源院の縁起
清源院は、伊東入道祐親(法号東林院殿寂心居士)を開基として、天台宗の僧侶垣舜が永承5年(1050)伊豆天城下に創建、伊東家代々の菩提寺だったと伝えられ、その後伊東氏の子孫が当地に住むようになり、菩提寺を当地へ遷したといわれます。嘉吉3年(1443)に天巽慶順(明応7年卒)が曹洞宗寺院に改めて開山、徳川家康の関東入国に際し、寺領4石の御朱印状を天正19年(1591)受領しています。往時には末寺三十余カ寺・孫末寺百三十五カ寺を擁した中本寺格の寺院でした。
厚木市史史料による清源院の縁起
東福山清源院
永承五年天台の僧垣舜によって建立し、伊東入道祐親(法号東林院殿寂心居士)を開基として、伊豆天城山下に伊東家代々の香花院があったと伝えられ、伊東氏の子孫が代々この地に住むようになって、その菩提寺を当所に移したといわれる。嘉吉三年に至って、天巽慶順が再興してからは曹洞宗になった。その後天文二十一年に火災にあって、中興の開基は越知出雲守である。かつては末寺三十余カ寺孫末寺百三十五カ寺を算えたこともあった。文政七年にも災上して、天保三年二月二十七日竣工したのが現在の建物であり、寺格は地方の中本山である。明治三十六年禅堂で自証塾を聞き、大正十二年迄続けられていた。(「厚木市史史料」より)
新編相模国風土記稿による清源院の縁起
(三田村)
清源院
東福山と號す、曹洞宗(下總國國府臺總寧寺末)本尊薬師、開山を天巽慶順と云(明應七年三月四日卒、或は四月四日とも云、)後僧乾外(寶暦十二年十月十七日卒、)の時法幢地となれり、天正十九年寺領四石の御朱印を賜ふ、旗下の士伊東縫殿助の菩提所にて(古地頭などにて其頃菩提寺とせしにや、今傳へを失ふ、)祖先右馬允政世(法名瑞流院傑山全英、寛永五年七月十九日死、)以下代々の墳墓あり、
鐘樓。寛延四年鑄造の鐘を掛
五神合社。稲荷・白山・秋葉・天神・道了の五座を祀る
山門。焼失後再建に及ばず、下同、
開山堂
禅堂
衆寮(新編相模国風土記稿より)
清源院の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「厚木市史史料」