及川八幡神社。及川村の鎮守、旧村社
及川八幡神社の概要
及川八幡神社は、厚木市及川にある神社です。及川八幡神社の創建年代等は不詳ながら、弘法大師が建立したと伝えられ、建久年間(1190-1198)に本多七郎道本が、弘治3年(1557)には中尾丹後守某が再興したといいます。天正19年(1591)には徳川家康より社領1石の御朱印状を受領、及川村の鎮守社となっていました。明治6年村社に列格、昭和8年神饌幣帛料供進神社に指定されました。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 応神天皇 |
相殿 | - |
境内社 | 粟島神社、蚕影神社、豊受大神 |
祭日 | 例大祭4月1日 |
住所 | 厚木市及川624 |
備考 | - |
及川八幡神社の由緒
及川八幡神社の創建年代等は不詳ながら、弘法大師が建立したと伝えられ、建久年間(1190-1198)に本多七郎道本が、弘治3年(1557)には中尾丹後守某が再興したといいます。天正19年(1591)には徳川家康より社領1石の御朱印状を受領、及川村の鎮守社となっていました。明治6年村社に列格、昭和8年神饌幣帛料供進神社に指定されました。
新編相模国風土記稿による及川八幡神社の由緒
(及川村)
八幡社
村の鎮守とす例祭八月十五日神體は秘して開闢せす弘法作と云、天正十九年社領一石の御朱印を附せらる縁起及び棟札寶永二年の文に據れば弘法大師の建立にて建久中本多七郎道本再興し、其後弘治三年中尾丹後守某寶永二年領主牧野氏再建せしとなり。
末社。淡島稲荷合殿(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による及川八幡神社の由緒
創立年月は不詳であるが、寛文二年再建天正十九年(一五九一)十一月徳川家康公より社領高一石寄進の状がある。明治四年上地となり、明治六年七月三十日足柄県に於て村社に列れられた。嘉永元年(一八四八)社殿悉皆焼失同二年十二月社殿再建、大正三年十二月拝殿新築、昭和四年九月幣殿及覆殿も新築、昭和八年八月二十五日神饌幣帛料共進神社と指定された。(神奈川県神社誌より)
「厚木市史史料」による及川八幡神社の由緒
八幡神社(及川六二四)
「村の鎮守とす。例祭八月十五日、天正十九年社領一石の御朱印を賜ふ。末社淡島、稲荷。別当西光寺」と新編相模風土記稿に書かれている。
弘法大師の建立で建久中、本多七郎道本が再興し、弘治三年中尾丹後守某、宝永二年牧野氏再建、また寛文二年再建と伝えられる。嘉永元年に全焼し同年十二月再建、明治四年上知、同六年村社に列した。大正三年十二月拝殿を修築昭和四年幣殿および覆殿を修築、同八年八月二十五神饌幣帛料供進神社に列す。例祭九月一日と神官の調書にある。
神体は僧形八幡神である。西光寺は明治初年火災にあい実相院跡へ移った。(「厚木市史史料」より)
及川八幡神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 神奈川県神社誌
- 「厚木市史史料」