戸田八幡神社。社領8石の御朱印状、中戸田の鎮守
戸田八幡神社の概要
戸田八幡神社は、厚木市戸田にある神社です。戸田八幡神社の創建年代等は不詳ながら、字中戸田の鎮守として相模川近くに祀られ、慶安2年(1649)には幕府より社領8石の御朱印状を受領していましたが、相模川洪水により度々崩れてしまい、慶応3年(1867)当地へ遷座したといいます。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格していました。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 応神天皇 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例大祭4月15日 |
住所 | 厚木市戸田1055 |
備考 | - |
戸田八幡神社の由緒
戸田八幡神社の創建年代等は不詳ながら、字中戸田の鎮守として相模川近く(下戸田小字舟場)に祀られ、慶安2年(1649)には幕府より社領8石の御朱印状を受領していましたが、相模川洪水により度々崩れてしまい、文政11年(1828)延命寺境内へ遷座、慶応3年(1867)当地へ遷座したといいます。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格していました。
新編相模国風土記稿による戸田八幡神社の由緒
(戸田村)
八幡宮
鎮守なり、例祭八月十五日、社地相模川の邊にありしが、大水の時度々崩れしにより文政十一年十一月、別當寺境内に移す、社領八石の御朱印は慶安二年八月賜ふ所なり、(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による戸田八幡神社の由緒
往古郷名富田とも記し、字中戸田の鎮守。「文和之年四月鎌倉八幡宮両界領に付されしも返進候条の事」と古書に見え慶安二年(一六四九)八月社領の御朱印賜わった時社地相模川の辺に鎮座したが、洪水の時、たびたび崩れてしまったので、文政十一年(一八二八)十一月旧別地内に遷したが、中古慶応三丁卯年(一八六七)五月二十六日御神殿焼失し、氏子協議の上、小字中富町村名跡に改め再建し現在鎮座す。明治六年村社に列す(神奈川県神社誌より)
「厚木市史史料」による戸田八幡神社の由緒
八幡神社(戸田中富町)
勧請年月不詳、新編相模風土記に「八幡宮 鎮守なり例祭八月十五日杜地相模川の辺にありしが、大水の時度々崩れしにより文政十一年十一月別当寺境内に移す、社領八石の御朱印は慶安二年八月賜ふ所なり。」現在は例祭を四月十五日に挙行、旧社地と称するのは下戸田小字舟場にあり現在氏子の共有地であるという。(「厚木市史史料」より)
戸田八幡神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 神奈川県神社誌
- 「厚木市史史料」