山際神社。旧称第六天社、山際の鎮守
山際神社の概要
山際神社は、厚木市山際にある神社です。山際神社の創建年代等は不詳ながら、第六天社と称し、徳川家康関東入国後の天正19年(1591)には社領1石の御朱印状を受領、寛文6年(1666)の大洪水により朱印地が消失してしまい移転、大正12年の関東大震災でも損地してしまい、大正14当地へ移転したといいます。明治維新後の明治6年山際神社と改称し村社に列格、大正元年神饌幣帛料供進神社に指定されていました。
社号 | 山際神社 |
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祭神 | 素戔嗚命 |
相殿 | - |
境内社 | 道祖神・地神塔・道祖神・猿田彦大神、稲荷・子上・日枝・厳島・不明 |
祭日 | 例大祭10月10日 |
住所 | 厚木市山際180 |
備考 | - |
山際神社の由緒
山際神社の創建年代等は不詳ながら、第六天社と称し、徳川家康関東入国後の天正19年(1591)には社領1石の御朱印状を受領、寛文6年(1666)の大洪水により朱印地が消失してしまい移転、大正12年の関東大震災でも損地してしまい、大正14当地へ移転したといいます。明治維新後の明治6年山際神社と改称し村社に列格、大正元年神饌幣帛料供進神社に指定されていました。
新編相模国風土記稿による山際神社の由緒
(山際村)
第六天社
村の鎮守なり、神躰束帯の像、例祭八月八日、山王稲荷を合祀す、天正十九年社領一石の御朱印を賜ふ、高座郡磯部村佛像院持、
鐘樓。寛政十二年再鑄の鐘を掛、
※佛像院は、明治維新後廃寺となり復職、磯部八幡宮となっています。(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による山際神社の由緒
由緒は詳かではないが新編相模風土記に「第六天神社村の鎮守神鉢木像例祭日九月十五日山王稲荷を合祀す、天正十九年(一五九一)社領一石の朱印を賜う・・・」とあるが、寛文六年(一六六六)大洪水の時社朱印地共損地したので、同七年現地に遷座した。明治六年七月大六天の旧社名を廃し、山際神社と改称、村社に列せられた。大正元年十一月十一日神饌幣帛料供進の神社に指定された。(神奈川県神社誌より)
「厚木市史史料」による山際神社の由緒
山際神社(山際宮前180)
勧請年月は不詳「天正十九年より朱印御寄附あり、寛文六年大洪水にて社地朱印共に損地す、寛文七年民有地に遷座す、明治六年七月大六天の旧社名を廃し山際神社と改称し村社に列せらる。大正元年十一月神奈川県告示第一〇五号を以て神饌幣帛料供進の神社に指定さる。大正十二年大震災で損地同一四年九月一日現在地に移転」(山際神社記録)(「厚木市史史料」より)
山際神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 神奈川県神社誌
- 「厚木市史史料」