圓光寺。鎌倉建長寺20世佛覺開山
圓光寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の圓光寺は、西嶺山と号します。圓光寺は、鎌倉建長寺20世佛覺(建武元年1334年寂)が開山、その後久山長公(寛文8年1668年寂)が中興、愛甲三郎季隆の位牌を安置していたといいます。
山号 | 西嶺山 |
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院号 | - |
寺号 | 圓光寺 |
本尊 | 釋迦牟尼仏像 |
住所 | 厚木市愛甲東2-4-1 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
圓光寺の縁起
圓光寺は、鎌倉建長寺20世佛覺(建武元年1334年寂)が開山、その後久山長公(寛文8年1668年寂)が中興、愛甲三郎季隆の位牌を安置していたといいます。
新編相模国風土記稿による圓光寺の縁起
(愛甲村)
圓光寺
西嶺山と號す、臨済宗(鎌倉建長寺末)開山佛覺(本寺第二十世建武元年十月十八日卒、)中興開山久山長公(寛文八年二月四日卒、)本尊正観音、脇に勢至を置(共に愛甲季隆守護佛と云傳ふ、)愛甲三郎季隆の位牌を安ず(文字剥落して讀がたし、)
古碑一基。寺傳に、愛甲三郎季隆の墓碑なりと云へど、此碑建久三年と彫りたるによれば誤なり、季隆は建暦の頃猶在世たり、按ずるに鬼簿に阿大居士建久元年正月廿五日大施主有信と記するに據ば、此碑は全く唱阿第三囘忌辰の時其追善に建しものなるべし、(新編相模国風土記稿より)
厚木市史史料による圓光寺の縁起
西嶺山円光寺(愛甲一一二五)
円光寺、西嶺山と号す。臨済宗(鎌倉建長寺末)開山仏覚(本寺第二十世建武元年十月十八日卒)中興開山久山長公(寛文八年二月四日卒)本尊正観音、脇に勢至を置(共に愛甲季隆守護仏と云伝う)愛甲三郎季隆の位牌を安ず(文字剥落して読がたし)(新編相模国風土記稿)(「厚木市史史料」より)
圓光寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「厚木市史史料」