薬王山瑠璃光寺。時宗開祖一遍上人参籠の薬師堂が前身
瑠璃光寺の概要
時宗寺院の瑠璃光寺は、薬王山生養院と号します。瑠璃光寺は、時宗開祖一遍上人が弘長元年(1261)が当地の薬師堂に参籠、この後に当麻無量光寺(妙見堂)を開いたことから、当地薬師堂を初駐錫の地として、真源(応永34年1427年寂)が一寺として開山したといいます。本尊の薬師如来像は依智小太郎某の守護仏だと伝えられ、依智小太郎某を開基としています。
山号 | 薬王山 |
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院号 | 生養院 |
寺号 | 瑠璃光寺 |
本尊 | 薬師如来像 |
住所 | 厚木市上依知1747 |
宗派 | 時宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
瑠璃光寺の縁起
瑠璃光寺は、時宗開祖一遍上人が弘長元年(1261)が当地の薬師堂に参籠、この後に当麻無量光寺(妙見堂)を開いたことから、当地薬師堂を初駐錫の地として、真源(応永34年1427年寂)が一寺として開山したといいます。本尊の薬師如来像は依智小太郎某の守護仏だと伝えられ、依智小太郎某を開基としています。
厚木市史史料による瑠璃光寺の縁起
薬王山生養院瑠璃光寺(上依知峯ヶ谷1747)
「当寺もとは薬師の小堂なり、弘長元年(一二六一)一遍三日三夜参籠してこれより当麻の妙見堂に赴けり、故に霊を一遍初駐錫の地と唱ふと云、後年一寺となす、開山真源(応永三十四年七月朔日卒)本尊薬師、依智小太郎某の守護仏と云、即小太郎を開基とす、熊野社 一遍の勧請と云、梛樹ニ株 一遍参籠の比、杖を折て二所に挿し、近郷化益の功成らば芽を生ずべしと誓ひしに果て枝葉を生じ、繁茂せしと云 一は囲七尺、一は五尺」「新編相模国風土記稿による」。(「厚木市史史料」より)
新編相模国風土記稿による瑠璃光寺の縁起
(上依智村)瑠璃光寺
時宗(高座郡當麻村無量光寺末)薬王山生養院と號す、當寺もとは薬師の小堂なり、弘長元年一遍三日三夜参籠してこれより當麻の妙見堂に赴けり、故に爰を一遍最初駐錫の地と唱ふと云、後年一寺となす、開山眞源(應永三十四年七月朔日卒、)本尊薬師(長一尺二寸行基作)依智小太郎某(事蹟詳ならず、昔寺後の山上に居住せし人とも云傳ふ)の守護佛と云、則小太郎を開基とす、
熊野社。一遍の勧請と云、
梛樹二株。一遍参籠の比、杖を折て二所に拝し、近郷化益の功成らば芽を生ずべしと誓ひしに果て枝葉を生じ、繁茂せしと云(一は圍七尺、一は五尺)(新編相模国風土記稿より)
瑠璃光寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「厚木市史史料」