百丈山養徳寺。永和4年(1378)に開創
養徳寺の概要
臨済宗円覚寺派寺院の養徳寺は、百丈山と号します。養徳寺は、舟庵が永和4年(1378)に開創、慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領5石9斗の御朱印状を受領していました。その後荒廃した当寺を梅岩が寛政8年(1796)に再興したといいます。
山号 | 百丈山 |
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院号 | - |
寺号 | 養徳寺 |
本尊 | 虚空蔵地蔵像 |
住所 | 厚木市中荻野1635 |
宗派 | 臨済宗円覚寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
養徳寺の縁起
養徳寺は、舟庵が永和4年(1378)に開創、慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領5石9斗の御朱印状を受領していました。その後荒廃した当寺を梅岩が寛政8年(1796)に再興したといいます。
厚木市史史料による養徳寺の縁起
船引山養徳寺(中荻野)
臨済宗五山派で鎌倉円覚寺の末寺である。永和二年舟庵が開創したもので、爾後荒廃に帰して居たが寛政八年僧梅岩中興した。其後天保七年祝融に擢り、殆ど廃滅の状態となったが、同十四年に至僧実岩、良円等が相尋で更に今の堂舎を再興した。(愛甲郡制誌)(「厚木市史史料」より)
新編相模国風土記稿による養徳寺の縁起
(中荻野村)
養徳寺(慶安二年寺領五石九斗の御朱印)
百丈山と號し、一に船引山とも號せり、臨済宗(鎌倉園覚寺末)本尊虚空蔵(腹籠に長一寸八分の像あり、定朝の作と云、)開山舟庵(永和四年四月四日卒、)中興開山心外(寛文四年七月廿五日卒、)古は村民の内庵なりしと云傳ふ、慶安二年五石九斗の御朱印を附せらる、
秋葉社
金毘羅社
天神社
稲荷社
地蔵堂(新編相模国風土記稿より)
養徳寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「厚木市史史料」