来迎山法雲寺。山角次郎右衛門勝長開基
法雲寺の概要
浄土宗寺院の法雲寺は、来迎山勝長院と号します。法雲寺は、山角次郎右衛門勝長(慶長19年1614年卒、法名隆光院法譽慈雲)等が寺地を寄進して開基となり、法阿雲冏(乗蓮社團譽、天正12年1584年寂)が開山したといいます。
山号 | 来迎山 |
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院号 | 勝長院 |
寺号 | 法雲寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 厚木市酒井2471 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
法雲寺の縁起
法雲寺は、山角次郎右衛門勝長(慶長19年1614年卒、法名隆光院法譽慈雲)等が寺地を寄進して開基となり、法阿雲冏(乗蓮社團譽、天正12年1584年寂)が開山したといいます。
境内掲示による法雲寺の縁起
法雲寺は、この地を永い間領した山角家が戦国時代の天正のころ(豊臣秀吉の活躍した時代およそ四百年前)再興し開基した、もと氏寺です。
正式には、来迎山・勝長院・法雲寺と称し、南無阿彌陀佛とお十念し、幸せを願う浄土宗寺院です。(境内掲示より)
新編相模国風土記稿による法雲寺の縁起
(酒井村)
法雲寺
来迎山勝長院と號す、浄土宗(芝増上寺末、)開山法阿雲冏(乗蓮社團譽と號す、天正十二年七月十四日卒、)開基山角次郎右衛門勝長(慶長十九年十一月五日卒、法名隆光院法譽慈雲、境内は勝長及山角綱三郎が先代某寄附する所なり、又細井宗左衛門の先世、六郎兵衛勝長、一石四斗八升餘の地を寄附す、山角氏代々の墳墓あり、)本尊阿彌陀、
八幡宮
薬師堂。惠心作の木像(長二尺八寸)を置、(新編相模国風土記稿より)
厚木市史史料による法雲寺の縁起
来迎山勝長院法雲寺(酒井2471)
開山法阿雲冏乗蓮社団誉と号す。天正十二年七月十四日卒す。開基山角次郎右衛門勝長慶長十九年十一月五日卒す。法名隆光院法誉慈雲、境内は勝長及び山角鋼三郎が先代某の寄附する所なり。叉細井宗左衛門の先世六郎兵衛勝長一石四斗八升余の地を寄附す。山角氏代々の墳墓あり。(新編相模国風土記稿)(「厚木市史史料」より)
法雲寺所蔵の文化財
- 木造不動明王立像(神奈川県指定重要文化財)
木造不動明王立像
この不動明王像は、もと薬師堂に安置されておりました。制作年代は平安時代末期十二世紀頃(美術史区分では藤原期、平清盛の頃およそ八百年前)と推定されます。
お像は高さ九十五・五センチ木造寄木造りで、全体を黒漆で仕上げ一部は彩色されています。右手には宝剣を、左手に羂索(五色の紐)を持ち、十九相観に従った真に正統な造りといえます。全体のお姿、作風ともに極めて洗練されており、浅めでよく整えられた衣文(衣や帯などの様子)など、藤原様式の特長が見られる傑作といえます。(境内掲示より)
法雲寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「厚木市史史料」