海老名氏霊堂|海老名市の名所旧跡

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海老名氏霊堂|伝海老名氏一族の墓所・旧寳樹寺

海老名氏霊堂の概要

海老名氏霊堂は、海老名市にある名所旧跡です。海老名氏霊堂は、当地の豪族海老名氏の菩提寺だったとされる寳樹寺の跡地にある海老名氏一族の墓所です。海老名氏は、武蔵村山党の子孫で、源四郎親季が康平年間(1058-1064)に相模守となり当地に在住、関東管領足利持氏との永享の乱(1438)に敗れて滅亡するまで、当地の有力な豪族でした。寳樹寺は、当地の東隣にある総持院の末寺で、江戸期には幕府より寺領7石の御朱印状を慶安2年(1649)受領していましたが、明治維新後廃寺となっています。

海老名氏霊堂
海老名氏霊堂の概要
名称 海老名氏霊堂
区分 史跡
入場時間 -
入場料 -
住所 海老名市河原口3-8
備考 -




海老名氏霊堂の由緒

海老名氏霊堂は、当地の豪族海老名氏の菩提寺だったとされる寳樹寺の跡地にある海老名氏一族の墓所です。海老名氏は、武蔵村山党の子孫で、源四郎親季が康平年間(1058-1064)に相模守となり当地に在住、関東管領足利持氏との永享の乱(1438)に敗れて滅亡するまで、当地の有力な豪族でした。寳樹寺は、当地の東隣にある総持院の末寺で、江戸期には幕府より寺領7石の御朱印状を慶安2年(1649)受領していましたが、明治維新後廃寺となっています。

境内掲示による海老名氏霊堂について

海老名氏霊堂
海老名氏は、村上源氏の流れをくむ武蔵村山党の子孫で、康平年間(一〇五八年から一〇六四年)、源四郎親季が相模守となってこの地に在住。そのまま、在名によって海老名氏と称し、棟梁となった。孫の海老名源八季定は、武勇天下に名高く、保元物語白河殿の奮戦に、また曽我物語にもその名を伝えられている。
海老名氏の菩提寺は、廃寺となっている宝樹寺であるとされ、寺跡の小堂が季定の墓だと伝えられているが確証はない。しかし、堂内には宝樹寺の開基、宝樹沙弥を祀った宝篋印塔があり、「大章樹公庵主、盈虚宇五年八月十三日」と刻まれているほか、季定のものと思われる五輪塔の断片もあり、一般に海老名氏一族の墓所といわれています。(海老名市教育委員会掲示より)

新編相模国風土記稿による寳樹寺について

(河原口村)
寳樹寺
大章山觀音院と號す(総持院末)、本尊千手觀音を安ず、開山慶韻と云ふ、
(永正元年寂すと云ふ、按ずるに、有鹿神社縁起に寳珠沙羅并総氏子等議神社修理之事、応永二十三冬、大略成功、寳珠者、即當郷寳樹寺開基施主云々と見ゆ、是によれば慶香勺は中興の僧なるべし、)
慶安二年八月寺領七石の御朱印を賜ふ。
△古碑二基。小丘の上に在り、其一は源八兵衛が墳墓なりと云ふ(碑面に大章□公菴主、永享五年八月十三日と彫る、源八兵衛が事蹟考所なし、)一は何人の碑なることを傳へず(碑面六月廿五日とのみ刻す)(新編相模国風土記稿より)


海老名氏霊堂の周辺図