吉岡山済運寺。渋谷平次郎某が中興開
済運寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の済運寺は、吉岡山と号します。済運寺は、栢庵宗意禅師大和尚(貞和5年1349年寂)が開山となり創建、渋谷庄司重国の子孫渋谷平次郎某が中興開基したといいます。吉岡・用田等は江戸時代に春日局の化粧料として充てられていたことから、当寺には春日局の御位牌、局が使用したと伝えられる茶臼・茶釜が残されているといいます。
山号 | 吉岡山 |
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院号 | - |
寺号 | 済運寺 |
本尊 | 正観音像 |
住所 | 綾瀬市吉岡1783 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
済運寺の縁起
済運寺は、栢庵宗意禅師大和尚(貞和5年1349年寂)が開山となり創建、渋谷庄司重国の子孫渋谷平次郎某が中興開基したといいます。吉岡・用田等は江戸時代に春日局の化粧料として充てられていたことから、当寺には春日局の御位牌、局が使用したと伝えられる茶臼・茶釜が残されているといいます。
新編相模国風土記稿による済運寺の縁起
(吉岡村)済運寺
吉岡山と号す。臨済宗鎌倉建長寺末、本尊正観音、開山宗意、承和四年六月九日卒、中興開基渋谷平次郎某、村民次郎左衛門が先祖なり。嘗て春日局に仕ふ。元和四年七月八日死、渋谷庄司重国が末葉なりと云。堂中春日局の位牌を置麟祥院仁淵了義大姉、寛永二十年九月十四日と記す。又局の交割二器あり。左に載す。
釜。鉄釜なり、壺の形にて高六寸許、総梨子目共蓋摘み茄子の形。
茶臼。尋常の形なり、高三寸。(新編相模国風土記稿より)
綾瀬市教育委員会掲示による済運寺の縁起
済運寺は山号を吉岡山と称し、臨済宗建長寺の末寺です。本尊は木造釈迦如来坐像で、貞和五年(1349)卒の栢庵宗意禅師大和尚により開山され、中興開基は元和四年(1618)卒の渋谷平次郎某で渋谷庄司重国の子孫といわれています。
三代将軍徳川家光の乳母である春日局が化粧料として吉岡・用田等に三千石の所領を与えられ、このあたりに屋敷を建て、大山参詣の宿泊所にしたといわれています。
済運寺には春日局の御位牌とともに、局が使用したと伝えられる茶臼・茶釜が寺宝として大切に保管されています。(綾瀬市教育委員会掲示より)
済運寺の周辺図