廣養山正福寺。綾瀬市吉岡にある浄土宗寺院
正福寺の概要
浄土宗寺院の正福寺は、廣養山直到院と号します。正福寺は、白受(天正18年1590年寂)が開山、小田原北条氏に仕えていた加藤傳次郎某(法名光誉念信、永禄2年寂)が開基となり創建したといいます。
山号 | 廣養山 |
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院号 | 直到院 |
寺号 | 正福寺 |
本尊 | 木造阿弥陀如来立像 |
住所 | 綾瀬市吉岡1006 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正福寺の縁起
正福寺は、白受(天正18年1590年寂)が開山、小田原北条氏に仕えていた加藤傳次郎某(法名光誉念信、永禄2年寂)が開基となり創建したといいます。
新編相模国風土記稿による正福寺の縁起
(吉岡村)正福寺
廣養山と号す。浄土宗増上寺末、本尊弥陀、開山白受、天正十八年九月二十八日卒。開基加藤傳次郎某、農忠次郎が祖先なり、小田原北条氏に仕へしと云。永禄二年七月朔日死、法名光誉念信。(新編相模国風土記稿より)
綾瀬市教育委員会掲示による正福寺の縁起
正福寺は、山号を広養山と称する浄土宗の寺院です。本尊は木造阿弥陀如来立像です。善誉空阿白受上人を開山、小田原北条氏に仕えたという加藤伝太郎広信を開基として天文元年(1532)に建立されました。
その後、慶長三年(1598)を最初とし、元禄八年(1695)に二度目、現在の本堂は、天保十一年(1840)に三度にわたり再建された建物です。開山以来の伝えが書き遺された羽目板が大事に残されています。(綾瀬市教育委員会掲示より)
正福寺の周辺図