長藤山妙善寺。藤沢市藤沢にある日蓮宗寺院
妙善寺の概要
日蓮宗寺院の妙善寺は、長藤山と号します。妙善寺の創建年代等は不詳ながら、日蓮聖人が龍ノ口から流罪先の佐渡へ赴く際、当地にあった真言宗寺院真蔵院で休息、時の住持長藤法印を教化、長藤阿闍梨日聞と改めて文永8年(1271)に開山したと伝えられます。
山号 | 長藤山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙善寺 |
住所 | 藤沢市藤沢1-5-3 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙善寺の縁起
妙善寺の創建年代等は不詳ながら、日蓮聖人が龍ノ口から流罪先の佐渡へ赴く際、当地にあった真言宗寺院真蔵院で休息、時の住持長藤法印を教化、長藤阿闍梨日聞と改めて文永8年(1271)に開山したと伝えられます。
新編相模国風土記稿による妙善寺の縁起
(高座郡坂戸町)妙善寺
長藤山と號す、法華宗(鎌倉妙本寺末)開基日純永正元年造立すと云ふ、境内正宗稲荷縁起に據れば僧日山の起立にして、妙本寺及本門寺(武州橘樹郡池上)兩住持退隠の地なりしと見ゆ(縁起略曰、文永八年九月十二日、日蓮刑戮を免れ、依智の里へ移る時、此地に息ふ、其舊跡たるを以、九老僧中、日山、當寺を開闢す、古は比企妙本寺、池上本門寺、兩貫主隠居所たるに依て開山より後八十年餘、無住なりと云々、)
本尊祖師なり、
正宗稲荷社。神體傳教作(長七寸五分、)古は比叡山に鎮座あり、後播磨國法華山に移し其後近江國に轉じ、又刀工正宗鎌倉に移し祀る、故に正宗稲荷と呼ぶ、元弘三年五月鎌倉兵火の後、當寺に勧請せし事、安永七年住僧日曜が記せし縁起に見えたり
(曰、此神躰は傳教大師彫刻し、比叡山鎮護の尊像とす、後井伊権五郎致重と云者、播州法華山に遷し、二百八十年を經て三條小鍛冶宗近信仰して江州に勧請す、正應の頃、鍛冶正宗上京の時、宗近の曾孫より此神躰を傳て鎌倉へ歸り、職業の守護神とす、正安元年寶劔を鍛て可捧の綸旨ありしが、其頃正宗扁手疼痛して、職業難叶に依て此神に祈り、寶劔を鍛て譽を顯す、夫より鎌倉營中に移し、正宗稲荷と崇敬せらる、高時入道滅亡の時、兵火の中を遁れ、當時境内榎の枝に降臨あり、正宗の弟子綱廣藤澤に来り、神躰を拝し、且其由来を詳に語る、住僧直に清壇を設け勧請せしとなり、)
番神堂(新編相模国風土記稿より)
「日蓮宗寺院大鑑」による妙善寺の縁起
(大観には開山長藤阿闍梨日聞とある)(「日蓮宗寺院大鑑」より)
妙善寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「日蓮宗寺院大鑑」
- 妙善寺 由来