妙本寺。日蓮宗霊跡本山、比企大学三郎能本が開基
妙本寺の概要
日蓮宗寺院の妙本寺は、長興山と号し、日蓮宗霊跡本山です。比企の乱で滅ぼされた比企一族の地に、乱から逃れていた比企大学三郎能本が開基となり、日蓮聖人を開山に迎えて文応元年(1260)創建したといいます。日蓮聖人が身延山へ移った後は直弟子の日朗上人が住持を務め、歴代住職は日朗上人の拠点池上本門寺と兼帯していました。
山号 | 長興山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙本寺 |
本尊 | 十界曼荼羅 |
住所 | 鎌倉市大町1-15-1 |
宗派 | 日蓮宗 |
縁日 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 日蓮宗霊跡本山、比企谷幼稚園 |
妙本寺の縁起
妙本寺は、比企の乱で滅ぼされた比企一族の地に、乱から逃れていた比企大学三郎能本が開基となり、日蓮聖人を開山に迎えて文応元年(1260)創建したといいます。日蓮聖人が身延山へ移った後は直弟子の日朗上人が住持を務め、歴代住職は日朗上人の拠点池上本門寺と兼帯していました。
鎌倉市掲示による妙本寺の縁起
この寺一帯の谷を比企谷といい、源頼朝の重臣・比企能員(ひきよしかず)らの屋敷がありました。比企一族は二代将軍・頼家の後継者争いの際、北条氏を中心とした軍勢にこの地で滅ぼされました。(比企の乱)
その後、乱から逃れていた末子能本(よしもと)が、日蓮聖人に帰依し、一族の屋敷跡であるこの地に法華堂を建てました。これが妙本寺の始まりといわれています。
4月から8月にかけて、桜・カイドウ・シャガ・ノウゼンカズラなどが鮮やかな花をつけ、静かな境内を彩ります。(鎌倉市掲示より)
妙本寺所蔵の文化財
- 十界曼荼羅
- 日蓮聖人像
- 徳川慶喜筆撰法華経
- 銅造雲版(国重要文化財)
十界曼荼羅は、日蓮聖人が池上宗仲邸(現大坊本行寺)で臨終の際に枕元に掛けられたもの、日蓮聖人像は存命中に作成されたものと言われます。
妙本寺の周辺図