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池上本門寺|大田区池上にある日蓮宗寺院、日蓮宗大本山

池上本門寺の概要

日蓮宗寺院の池上本門寺は、長栄山大国院本門寺と称します。池上本門寺は、宗祖日蓮上人が安房国から鎌倉へ向かう途次、当地を視て「あらかじめ入滅の地と思ひけるとぞ」と定めた地と伝えられ、その後池上宗仲は道場を建立、日蓮上人より長榮山本門寺の号を与えられたといいます。弘安5年(1282年)、死期の近いことを悟った日蓮上人は身延山から当地へ発向、当地で日蓮上人は入滅しました。当寺と鎌倉比企谷妙本寺とを遺言により譲り受けた日蓮六老僧の一人日朗上人が、現在の池上本門寺の礎を築いたといいます。慶長3年(1598)には徳川家康から寺領100石の御朱印状を受領、江戸時代初期には加藤清正、前田利家や紀伊徳川家等諸侯の祈願寺となり多くの保護を受けました。幕末、慶応4年(1868)には、東征軍の東海道先鋒本営が置かれています。身延山久遠寺・中山法華経寺とともに三頭と、長興山妙本寺・長谷山本土寺と共に三長三本山と称される日蓮宗四大本山の一山です。東国花の寺百ヶ寺となっています。

池上本門寺
池上本門寺の概要
山号 長栄山
院号 大国院
寺号 池上本門寺
住所 大田区池上1-1-1
本尊 釈迦如来像
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 日蓮宗大本山



池上本門寺の縁起

池上本門寺は、宗祖日蓮上人が安房国から鎌倉へ向かう途次、当地を視て「あらかじめ入滅の地と思ひけるとぞ」と定めた地と伝えられ、鎌倉で池上宗仲に会い檀信徒とし、その後池上宗仲は道場を建立、日蓮上人より長榮山本門寺の号を与えられたといいます。弘安5年(1282年)、死期の近いことを悟った日蓮上人は身延山から当地へ発向、当地で日蓮上人は入滅しました。当寺と鎌倉比企谷妙本寺とを遺言により譲り受けた日蓮六老僧の一人日朗上人が、現在の池上本門寺の礎を築いたといいます。慶長3年(1598)には徳川家康から寺領100石の御朱印状を受領、江戸時代初期には加藤清正、前田利家や紀伊徳川家等諸侯の祈願寺となり多くの保護を受けましたが、寛永7年(1630)に不受不施派の禁令により、不受不施派の中心的存在であった池上派の本門寺16世貫主日樹は飯田に流罪されました。幕末、慶応4年(1868)には、東征軍の東海道先鋒本営が置かれています。身延山久遠寺・中山法華経寺とともに三頭と、長興山妙本寺・長谷山本土寺と共に三長三本山と称される日蓮宗四大本山の一山です。

大田区教育委員会掲示による池上本門寺の概要

日蓮宗大本山の一つであり、日蓮入滅の地。慶長年間(1596-1615)には徳川家康から寺領100石をうけるなど、徳川家や諸大名の信仰をあつめました。全国に旧末寺約200ヶ寺を持つ大寺院で境内には、加藤清正の供養塔や徳川家墓所、幸田露伴や力道山の墓などがあります。小堀遠州の築園と伝えられている松涛園は、西郷隆盛と勝海舟が会見した場所といわれ、都の指定旧跡となっています。また、国の重要文化財の五重塔は、慶長12年(1607)二代将軍秀忠が、乳母正心院の願いで建立したもので、高さは29.8m、関東では最古のものです。(大田区教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による池上本門寺の概要

(池上村)
本門寺
境内六萬七千六百坪、下池上村の南にあり、法華宗本化一宗正統の靈場なり、長榮山大國院と號す、宗祖日蓮上人の開闢にして、鎌倉番匠の棟梁、池上右衛門太夫宗仲の建立する所なり、其由来を尋ぬるに、建長年中日蓮安房國より鎌倉に赴かんとして、舟を浮べて當郡品川に着岸す、時のこの池上の地を見て、傳へ聞竺土跋堤河(ハイタイカ)の景色に似たるをよみし、あらかじめ入滅の地と思ひけるとぞ、其後鎌倉にありし頃、康元年中一たび日蓮に見へて深く崇信し、頓て檀越となれり、文應元年上人鎌倉より當所宗仲が宅を訪ひ、此所を兼て入滅の地とせんころを約せり、文永十一年十一月、宗仲自ら本化の道場を建立せんことを欲して、其の志を告しかば、日蓮これをよみして長榮山本門寺の號を與へ、且大曼荼羅を一枚圖して附属せり、此曼荼羅は當山第五世日叡上人、身延山兼職の時かの山へ移せしより、今にありと云、其後宗仲當寺を造立せしは弘安四年の事なり、明る五年日蓮みづから入滅の期近きにあるをしり、九月八日身延を發して同十八日池上に来り、宗仲が家に入、あらかじめ其はかりごとを告、爰於て鎌倉中を始として遠近の弟子檀那等悉く本門寺に来集す、此時安國論及種々の法門を講説す、堂には本門の本尊久遠實成の釋迦佛及び上行以下の四菩薩を安ず、この頃高足の弟子日法靈材を得て上人の坐前にして肖像を彫刻し、頭上の疵痕に至るまでいさゝかもたがはず寫しければ、上人自ら曼荼羅を寫してその胎中に納め、鬢髪を焼て彩飾を加へ、是我生身の形なりと、自ら開眼して同く堂上に安置せり、又弟子檀那に告て云、三七日を過て我まさに入滅すべし、其時地神震動するを以わが死相を卜すべしと、十月三日譲状を書して、随身佛一軀幷に安國論免状二通を日朗上人に附属し、又當寺と鎌倉比企谷妙本寺とを合せて日朗に譲れり、これにより兩寺を兼職し、後數世の間は比企ヶ谷に住せり、又かの随身佛等の三種の重寶は、日朗入滅の後一たび紛失せしかど、後いかなる故にや京都本國寺に傳へて今にありと云、又日像上人には帝都の弘經を附屬せり、されば此人京都妙顯寺を開山せり、同十二日酉の刻今の大坊の地宗仲が宅にありて、北向安坐し明る十三日辰の刻入滅す、その後遺言に依て骨を身延山へ送る、明る六年十月に六老僧等此地に来會して日蓮の遺文をあつむその頃のころにや、宗仲宅をすてゝ本門寺を起し、いよいよ信心怠らざりしが、是も正應六年九月十三日卒せり、これよりして本門寺の修造はみな二祖日朗の功によれり、日朗かくて諸弟をひきひ、殿堂伽藍を營み文保元年に至て土木の功全く終り、輪奐頗る美をなせり、日朗はその間正應四年九月預め付弟を定む、三世日輪是なり、初日朗師の命に依て兩山を紹繼せしより、こゝに至て三十七年に及べり、これより日朗は寺窪と云地に庵室を結び讀誦經勸業してありしが、元應二年正月二十朔日泊然として遷化せり、付弟日輪師の遺言によつて鎌倉松葉ヶ谷にて荼毘し、猿畠山に塔を立けり、然りしよりこのかた現住に至るまで四十三世、法燈たへず、日蓮の譲状に云、釋尊一代之深理、日蓮一朝之功徳無所殘、付屬日朗云々、日朗また日輪に付法す、且九老僧の連署に云ふ、本門寺日朗上人御遷化之後、爲其門弟法門弘通意趣守本處道跡可爲一味同心云々、先にも云る如く開闢以来第十二世日惺のときまでも妙本寺にありて、當寺を兼職せり、【小田原記】に永禄十二年武田信玄當國へ亂入のとき六郷の橋を焼落されて済ることあたわず、當所へかゝり、當寺をも焼んとせしが、その時の住僧は身延より来たりしものにて、かねて信辺へもまみへしものなれば、寺をば焼かず平間渡へかゝりしと云へるは、未だ住職の妙本寺にあるときなれば、住僧といひものも所化の内にて寺をあづかり守りしものなるべし、これより天正十八年御打入りののち、當國御居城の地となりしかば、明くる十九年日惺比企谷より當寺に移りし以来歴代の僧當寺に住して妙本寺を兼職せりとぞ、また同住職のころ慶長三年二月二十四日東照宮より寺領百石を賜はれり、そののち享保十年十二月二十四日日等住職の頃勅ありて、ながく紫衣を着することを免さるゝの綸旨を賜へり云々、
惣門。山下にあり、高さ二丈一尺なり、兩柱のあひた一丈五尺、元禄年中始めてつくる、本門寺の三字を扁せり、本阿彌大虚庵光悦の筆なり、
下馬札。惣門に向ひて左にあり、寶徳院殿深徳院殿の御廟山内にあるを以、下馬札を建ることを免ざるゝのよし、享保十五年七月二十四日黒田豊前守直邦命を傳へしにより立りと云、
石階。惣門の内にあり、九十六級、第二十二世日玄上人の時造れり、
山門。石階の上にあり、八間に三間、天文年中第九世日純造る、左右に密跡金剛の像を安ず、この像は和銅三年行基菩薩の作なり相傳ふ、昔大坊日現古川村眞言宗薬師堂別當と諍論せしとき、互に寺寶を賭として勝負を決せり、時に近郷の地頭行方弾正この事を聞て、家人を遣はして日現を護らしむ、別當終に宗論に負けたり、弾正が家人約の如くこの二王の像をとりてこの地へ移せりと、長榮山の三字を扁す、これも光悦のふでなり、
本堂。山門の正面にあり、十間半に十一間、享保十五年三月、二十五世日顗建、時に有徳院殿より黄金を賜ひ、惇信院殿よりも若干の銀子を御寄附ありしと云り、開祖以来の堂は永正元年四月十七日回禄に罹れり、後再建ありしかど、元龜四年二月十四日再び丙丁に逢り、其後天正年中大坊日(人偏に親)十二間に十四間の堂を建立せしかど、是も寶永七年十月また焼失せり、よりて今の堂を建立せりと云、本尊は釋迦如来上行無邊行浄行安立行の四菩薩、及び持國毘沙門廣目増長の四天王を安ず、これ日蓮所化の三大秘法の中の本門の本尊なり、以上の九軀は運慶の作にして日蓮の開眼なり、上人在世の時より安置せしと云、日蓮入滅より八十五年をへて、貞治五年第四世日山再興す、其後三百六十四年にして、享保十四年二十五世日顗再興し、堂の中央二重の塔の中に安ず、その塔は日顗のとき善行院智鏡日明が營みし所なり、又堂の東西の隅に釋迦の佛像、大黒天、毘沙門天、十二神等の像を安ず、
影堂。本堂の東にあり、十二間四方なり享保七年廿四世日等建、其時有徳院殿より材木を賜はれり、古の堂は本堂と同く屡回禄に罹れり、天正年中大坊日假建立の堂は、さまで大ならざる故にや、日樹住職の頃寛永三年より經營のあらましを企て、同五年二月十七日より功を起して明る六年十一月功を畢れり、(以下省略)
鐘樓。本堂の南にあり、三間四方、昔の鐘は第十七世日東の作る所にして、十六世日遠の銘ありしと云、その後正徳四年二十三世日潤再び作れるものの今の鐘なり、徑五尺五寸二分、厚さ七寸八分あり、銘文もあれど考證にゑきなければ略せり、
五重塔。本堂の東にあり、三間四方高さ十五間許慶長十三年第十四世日詔の時、台徳院殿の御乳母正心院日幸尼の願によりて御建立あり、其来由を尋るに、台徳院殿御年十五歳にならせ給ひしとき、日幸尼當山の祖師へ御武運長久の所願とたてけるに志願の驗ありて御年二十七歳にて将軍に任せさせ給ひければ、夫より四年をへて台徳院殿の御年三十歳にならせ給ひし時、かの日幸尼この塔建立の願を立けるといへり、其時の棟札今にそんせり、(銘文省略)
この後いくほどなく、慶長十九年の大地震に傾きしを、台徳院殿御遊猟の時御覧ありて、御修造のことを命せられしとぞ、この頃までも、塔の在所は今の祖師影堂の前にありしと云り、その後元禄十五年二月第二十二世日玄住職の頃常憲院殿より材木二千挺、白銀百枚を賜はり、もとの地より五十八間を移して今の地へ再建す、これ明る十六年のことなり、(棟札文省略)(新編武蔵風土記稿より)


池上本門寺所蔵の文化財

  • 五重塔(日本国重要文化財)
  • 木造日蓮聖人坐像(日本国重要文化財)
  • 兄弟抄日蓮筆(日本国重要文化財)
  • 宝塔(東京都指定文化財)
  • 日蓮筆消息文(東京都指定有形文化財)
  • 日蓮筆大曼荼羅(東京都指定有形文化財)
  • 日蓮遺物配分帳(東京都指定有形文化財)
  • 身延山守番帳(東京都指定有形文化財)
  • 日朗筆大曼荼羅(東京都指定有形文化財)
  • 日朗聖人坐像(大田区指定有形文化財)
  • 日輪聖人坐像(大田区指定有形文化財)
  • 天海版一切経(大田区指定有形文化財)
  • 木造柄香炉(大田区指定有形文化財)
  • 梵鐘(大田区指定有形文化財)
  • 紺紙金泥法華経六巻(大田区指定有形文化財)
  • 天海版一切経(大田区指定有形文化財)
  • 池上本門寺文書一括(大田区指定有形文化財)
  • 柄香炉(大田区指定有形文化財)
  • 経蔵(大田区指定有形文化財)
  • 日樹聖人五輪塔(大田区指定有形文化財)
  • 本門寺の石段(大田区指定有形文化財)
  • 南洲海舟評議の処(松涛園)(東京都指定旧跡)
  • 狩野探幽墓所(東京都指定旧跡)

宝塔、附木造宝塔1基(昭和38年3月19日指定)

かつて灰堂があったという記録が見られるが、この宝塔は棟札抄により、文政11年(1828)11月13日、日蓮聖人の550遠忌を記念し、前犬山城主成瀬候らを本願主として再建された。作者は小木新七その他。その後嘉永4年(1851)に修理されている。
石造基壇は高い方形基壇および蓮台形台座からなる。木造建築の軸部は平面円形でやや伏鉢状をなし、側柱8本を円形に配し、内部には四天柱を立てている。伏鉢部の上に12本の側柱および8本の柱を円形に配して上層をなしている。附の宝塔は四天柱の内に安置され、意匠は本堂塔に類似している。
この宝塔は富山県本法寺蔵の重要文化財絹本着色法華曼荼羅図に見える多宝仏塔に類似しており、建設時代は新しいが、宝塔形式の遺構としてはほとんど類例がない。

梵鐘(昭和49年2月2日指定)

正保4年(1647)、加藤清正の息女で後に紀伊頼宣室(夫人)となった瑶林院(1601-66)の寄進した梵鐘である。
正徳4年(1714)に紀州粉河の鋳物師木村将監藤原安成によって改鋳。その際初鋳当時の銘文がそのまま残され、縦帯の銘文は筆順に随った籠字筋彫りであるのも珍しい。
その雄大さと共に豪快重厚な作風は都内屈指といえよう。
戦災による鐘楼の消失で一部に亀裂と歪みを生じたが、なお資料的価値は高い。

日朗聖人坐像(昭和50年3月19日指定)

木造寄木造り、彩色、玉眼、像高45センチ。大堂(祖師堂)内に日蓮聖人坐像(国重要文化財)を中心に、向かって左側に本像、右側に日輪聖人坐像が対をなして安置されている。
「新編武蔵風土記稿」に、この像内に当時2世、日朗聖人(1243-1320)の真骨を収めていると記されているが、現在は見当たらない。
銘文がないのが残念であるが、肖像彫刻として芸術性も豊かであり、その彫刻の手法、様式などから、室町時代の作品と推考される。


池上本門寺の末寺・法脈

江戸時代には全国に200を数える末寺、36を数える塔頭を擁していました。現在は池上三院家をはじめ、24ヶ寺は「朗師講」として残っている他、池上法縁として中道庵法類と芳師法類が残っています。

池上三院家


池上法縁五本山

  • 大坊本行寺(日蓮宗由緒寺院)
    大田区池上2-10-5
  • 真間山弘法寺(日蓮宗由緒寺院)
    市川市真間4-9-1
  • 妙本寺(日蓮宗霊跡寺院)
    鎌倉市大町1-15-1
  • 寂光山龍口寺(日蓮宗由緒寺院)
    藤沢市片瀬3-13-37
  • 龍水山海長寺(日蓮宗由緒寺院)
    静岡市清水区村松299

朗師講

朗師講は、下記23ヶ寺に池上本門寺を加えて24ヶ寺あります。


池上本門寺の周辺図