龍口山常立寺。龍口寺輪番八ヶ寺
常立寺の概要
日蓮宗寺院の常立寺は、龍口山と号します。常立寺の草創年代等は不詳ながら、日向山利生寺と称す真言宗寺院として草創、龍ノ口で処刑された罪人を回向していたと伝えられます。当地の地頭鈴木隼人正が天文年間(1532-1555)碑文谷法華寺(現円融寺)7世日豪に入信、鈴木隼人正の菩提寺だった利生寺を日蓮宗に改め、日豪上人を開山に迎えて竜口山常立寺と号したといいます。龍口寺輪番八ヶ寺の一寺でした。
山号 | 龍口山 |
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院号 | - |
寺号 | 常立寺 |
住所 | 藤沢市片瀬3-14-3 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
常立寺の縁起
常立寺の草創年代等は不詳ながら、日向山利生寺と称す真言宗寺院として草創、龍ノ口で処刑された罪人を回向していたと伝えられます。当地の地頭鈴木隼人正が天文年間(1532-1555)碑文谷法華寺(現円融寺)7世日豪に入信、鈴木隼人正の菩提寺だった利生寺を日蓮宗に改め、日豪上人を開山に迎えて竜口山常立寺と号したといいます。龍口寺輪番八ヶ寺の一寺でした。
新編相模国風土記稿による常立寺の縁起
(片瀬村)
常立寺
龍口山と號す(身延久遠寺末)龍口寺輪番同宗八箇寺の一なり、故に此山號あり(下本蓮寺も是に同じ、)開山は日豪と云ふ(武州碑文谷法華寺七世)永正中、豪、日向山利生廢寺の舊池に就て開基し、今の寺山號に改め、當宗に屬すと云ふ(古昔の宗派を傳へず、)
△番神堂。堂地もと古塚あり、誰姿森(多我須賀茂利)と號す、其塚上に此堂を建しと云ふ(今は毀廢せり)(新編相模国風土記稿より)
「日蓮宗寺院大鑑」による常立寺の縁起
(大観には、天文元(1532)年正月の創立。開山日豪。開基鈴木隼人正。初めは真言宗に属し、回向山利生寺と号す。竜ノ口で頼朝が罪人を処刑し、ここに葬って回向していたという。蒙古の三使もここに葬られており、面影塚の称を残している。のち天文年間、当地地頭鈴木隼人正は、江戸碑文谷法華寺7世日豪の教化を受け、その菩提寺であった利生寺を竜口山常立寺と改め、日豪を開山として迎えた。法華寺が廃せられて後は身延末になるとある)(「日蓮宗寺院大鑑」より)
常立寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「日蓮宗寺院大鑑」