寂光山龍口寺。龍ノ口法難地の霊跡寺院
龍口寺の概要
日蓮宗寺院の龍口寺は、寂光山と号します。龍口寺は、日蓮聖人が捕らえられ、当地龍ノ口で処刑されようとした「龍ノ口法難」の霊跡地に、日法聖人が延元2年(1337)に堂宇を建立して創建したといいます。江戸期には近隣八箇寺(常立寺・本蓮寺・本成寺・勸行寺・法源寺・東漸寺・本龍寺・妙典寺)の輪番で寺務を勤め、現在は日蓮宗の霊跡寺院(本山)となっています。
山号 | 寂光山 |
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院号 | - |
寺号 | 龍口寺 |
住所 | 藤沢市片瀬3-13-37 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
龍口寺の縁起
龍口寺は、日蓮聖人が捕らえられ、当地龍ノ口で処刑されようとした「龍ノ口法難」の霊跡地に、日法聖人が延元2年(1337)に堂宇を建立して創建したといいます。江戸期には近隣八箇寺(常立寺・本蓮寺・本成寺・勸行寺・法源寺・東漸寺・本龍寺・妙典寺)の輪番で寺務を勤め、現在は日蓮宗の霊跡寺院(本山)となっています。
新編相模国風土記稿による龍口寺の縁起
(片瀬村)
龍口寺
寂光山と號す法華宗(無本山、)文永八年九月十二日宗祖日蓮刑に當りし舊蹟たるを以て弘安の頃六老僧等力を戮せて創立し
(【註畫賛】曰云、龍口相州片瀬内也、伏案師弘通、及喪身失命、依善神護符、終免此大難云々、於彼所建立一寺、)即日蓮を開山となし、近隣八箇寺(村内常立・本蓮の二寺、腰越村本成・勸行・法源の三寺、津村東漸・本龍・妙典の三寺)にて輪番す、本尊は祖師日蓮なり(長二尺二分日法作)堂内に敷皮石(長二尺三寸五分幅一尺八寸)
と稱するあり (【註畫賛義】曰、鋪皮石古跡在于今、一方及三尺餘磐石也、)或は首の座石とも呼ぶ、是日蓮斬に當らんとして座を設けし石なりとぞ堂頭に敷皮堂の三字を扁す(寶鏡寺宮、墨蹟と云ふ、)毎歳九月十一十二兩日の會式には宗門の緇素群参せり、
【寺寶】
七字七幅。日蓮の眞跡なりと云ふ、
△制札二通
△七面社。寺後山上にあり、
△番神堂。某年松平淡路守利次室(鳥居左京亮忠政の女なり、)再興すと云ふ、
△鐘樓。寛永七年の鐘を掲ぐ、
△日蓮士牢。本堂の西山麓にある岩窟を云ふ、日蓮厄難の時假に設けし牢なりと傳ふ、傍に膳窟と呼べるあり、同時膳所たりし遺址と云ふ、
△經八稲荷社。(新編相模国風土記稿より)
「日蓮宗寺院大鑑」による龍口寺の縁起
延元2(1337)年9月の創立。開山和泉阿闍梨日法(暦応4(1341)年1月5日寂)。池上法縁、住職は池上池上・芳師法縁。竜の口頸の座刑場跡に建立された霊場で、文永8年に宗祖が捕われ、この刑場敷皮石の断頭場に据えられた処。弟子日法が一堂を建立、自ら宗祖像を刻み敷皮堂と称した。慶長6年、池上本門寺13世日尊が今日の大本堂を完成。当時は付近八ヶ寺が輪番守務していたが、明治19年の太政官布達により貫主制度が定められ、現第11世に及んでいる。山頂に白亜の仏舎利塔あり。(「日蓮宗寺院大鑑」より)
龍口寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「日蓮宗寺院大鑑」
- 日蓮宗霊跡本山 寂光山龍口寺 公式ホームページ