平塚須賀神社。平塚市平塚の神社
平塚須賀神社の概要
平塚須賀神社は、平塚市平塚にある神社です。平塚須賀神社は、平塚宿で疫病が流行していた寛政年間(1789-1801)に、平塚宿の加藤久左ヱ門が尾張国津島牛頭天王を勧請して創建、江戸期には宝善院持ちの天王社として祀られていました。
社号 | 須賀神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例大祭7月26日 |
住所 | 平塚市平塚1-23-16 |
備考 | - |
平塚須賀神社の由緒
平塚須賀神社は、平塚宿で疫病が流行していた寛政年間(1789-1801)に、平塚宿の加藤久左ヱ門が尾張国津島牛頭天王を勧請して創建、江戸期には宝善院持ちの天王社として祀られていました。
神奈川県神社誌による平塚須賀神社の由緒
当社は昔より、真言宗宝善院と境を接し、参拝には山門を通り、祭礼は寺中で行われてきた。文化八年(一八二五)地誌取調書上帳に「宝善院境内 牛頭天王宮 六月七日 隔年ニ祭礼神輿出申し神輿室一間四方」とあり、また文化二年(一八〇五)同寺本堂絵図の東北隅に牛頭天王社九尺二間が見られる。皇国地誌の内平塚宿地誌によれば「寛政年間本宿加藤久左ヱ門ナルモノ 尾張国津島牛頭天王ヲ勧請ス」とある。明治五年(一八七二)神社明細帳に「神殿間口九尺奥行二間」とあり、昭和二十年戦火に神輿ともども全焼し、昭和二十三年現在の社殿が竣工した。
土地の言い伝えに、寛政年間の夏に、疫病が流行した時、尾張国・津島牛頭天王を勧請して祭りを行ったら疫病が治まったと言われている。(神奈川県神社誌より)
平塚須賀神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 神奈川県神社誌