田村八坂神社。田村(旧八幡村)の鎮守
田村八坂神社の概要
田村八坂神社は、平塚市田村にある神社です。田村八坂神社の創建年代等は不詳ながら、征夷大将軍坂上田村麿が奥羽征討の途中当地に滞留したことから「田村」と呼ばれるようになったと伝えられ、神田寺の本尊も坂上田村麿の祈念仏と伝えられることから、延暦年間(782-806)には当社も創祀されていたのではないかといいます。江戸期には田村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、明治41年には天神社を合祀しています。
社号 | 八坂神社 |
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祭神 | 素戔嗚命 |
相殿 | - |
境内社 | 金刀比羅神社、日枝神社、稲荷神社、神明社 |
祭日 | 例大祭7月28日 |
住所 | 平塚市田村8-21-30 |
備考 | - |
田村八坂神社の由緒
田村八坂神社の創建年代等は不詳ながら、征夷大将軍坂上田村麿が奥羽征討の途中当地に滞留したことから「田村」と呼ばれるようになったと伝えられ、神田寺の本尊も坂上田村麿の祈念仏と伝えられることから、延暦年間(782-806)には当社も創祀されていたのではないかといいます。江戸期には田村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、明治41年には天神社を合祀しています。
新編相模国風土記稿による田村八坂神社の由緒
(田村)
牛頭天王社
村の鎮守なり、幣殿・拝殿建り、例祭六月七日より十四日に至り、字堂ノ前の旅所に、神輿を置り、圓光院持、
鐘樓。鐘は正徳三年に鑄造す、
末社。金比羅、山王、稲荷、疱瘡神(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による田村八坂神社の由緒
由緒は不詳であるが、延暦以前の旧社であることが明らかである。この田村の地は往古の奥州街道で、桓武天皇の延暦年中奥州蜂起した時、天皇が坂上田村麿を征夷大将軍として征討させなさった時、当社に戦捷を祈誓され、その功あってか地名を田村と号し神威の灼然たりしを表せられたという。
明治四十一年十一月二十七日無格社天神社を合祀、明治六年村社に列せられ大正六年神饌幣帛料供進神社に指定。(神奈川県神社誌より)
田村八坂神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 神奈川県神社誌