稱名山長善寺。応永年間創建
長善寺の概要
浄土宗寺院の長善寺は、稱名山快楽院と号します。長善寺は、勝蓮社寶譽(応永26年1419年寂)が開山、厭蓮社欣譽(寛文7年1667年寂)が中興したといいます。
山号 | 稱名山 |
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院号 | 快楽院 |
寺号 | 長善寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 平塚市東八幡1-17-32 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長善寺の縁起
長善寺は、勝蓮社寶譽(応永26年1419年寂)が開山、厭蓮社欣譽(寛文7年1667年寂)が中興したといいます。
新編相模国風土記稿による長善寺の縁起
(八幡村)
長善寺
稱名山快楽院と號す、浄土宗(芝増上寺末)、開山寶譽(勝蓮社と號す、應永二十六年七月晦日卒、)中興開山欣譽(厭蓮社と號す、寛文七年二月十七日卒、)本尊阿彌陀(定朝窄、長二尺七寸)又惠心作の同像を安ず(長一尺一寸、)、古は寺地、相模川の邊にありしが、洪水の時、河中に沒しければ、今の地に轉ずと云、
辨天社
薬師堂。地蔵をも安ず、(新編相模国風土記稿より)
長善寺所蔵の文化財
- 紙本着色如意輪観音像(平塚市指定重要文化財)
- 紙本着色観心十界曼荼羅図(平塚市指定重要文化財)
紙本着色如意輪観音像
岩上の蓮華座に坐ず六臂の如意輪観音を描いたものです。下辺の血盆池(血の池地獄)から出た蓮華の花の上には白衣を来て合掌する女(既に救われている)を、血の池には救いを求めてうごめく女達を、更にその下には亡者を苛む鬼卒二名と龍を描いています。その図様から、血盆経に説く、女性が落ちるとされた血の池地獄の様相と、その救済者としての如意輪観音を表したものと推察されます。
制作時期は、当初江戸時代と推定されていましたが、修復後調査した結果、室町時代末期まで遡る可能性があると判断されています。
通例の姿で描かれた観音像の描線はしなやかで丁寧であり、像容の崩れも少なく古格を保っています。一方、下辺に展開する地獄には、室町時代に制作された各種参詣曼荼羅などとも共通する、素朴な庶民信仰を物語る図様や稚抽な味わいを持つ表現技法を見ることができます。
従って本図は、室町時代の如意輪観音信仰の広がりと庶民化を物語る興味ある作例であるとともに、その画風や様式からも、室町時代末期に遡る可能性を持つ貴重な作品であるといえます。(平塚市教育委員会掲示より)
紙本着色観心十界曼荼羅図
紙本着色観心十界曼荼羅図は、仏教で説く十界(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界)の有様を上下六段に分けて描いたものです。画面のほぼ中央、人間界の中心に「心」の字を描き、そこから他の九界に転生する人々の姿を描いています。
なかでも人間界は大きな部分を占め、向かって右に商いをする人々の姿を、左に臨終と阿弥陀三尊の来迎を描いています。また、仏界でも、往来する人物に阿弥陀が手を差し伸べているところなど阿弥陀を中心とした十界観を示すいかにも浄土教寺院にふさわしい作品といえます。
制作は室町時代中期に遡るもので、室町期特有の粗い絹地に、朱色を際立たせた墨色主体の彩色を施しています。人物の表現は、室町期に隆盛した御伽草子絵巻にみられるような愛らしい庶民の描写に通じるものがあり、当時の庶民生活の一端をうかがい知るものとして注目されます。(平塚市教育委員会掲示より)
長善寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿