海詠山長楽寺。平塚市札場町にある高野山真言宗寺院

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海詠山長楽寺。相模薬師霊場、湘南ひらつか七福神の寿老尊

長楽寺の概要

高野山真言宗寺院の長楽寺は、海詠山無動院と号します。長楽寺は、真言宗開祖弘法大師空海が相模国を巡錫した際に最初に滞在したとされる当地に、僧鎮海が文治元年(1185)頃に草庵を結び開創、海詠庵と称したといいます。その後、建保三年(一二一六)に僧朝秀が中興開山、江戸期には高野山真言宗寺院の関東における檀林として栄え、十三ヶ寺の末寺を擁していました。太平洋戦争により堂塔伽藍を焼失、平成24年に本堂を再建しています。相模薬師第十一番霊場、湘南ひらつか七福神の寿老尊です。

長楽寺
長楽寺の概要
山号 海詠山
院号 無動院
寺号 長楽寺
本尊 薬師瑠璃光如来像
住所 平塚市札場町15-42
宗派 高野山真言宗
葬儀・墓地 -
備考 -



長楽寺の縁起

長楽寺は、真言宗開祖弘法大師空海が相模国を巡錫した際に最初に滞在したとされる当地に、僧鎮海が文治元年(1185)頃に草庵を結び開創、海詠庵と称したといいます。その後、建保三年(一二一六)に僧朝秀が中興開山、江戸期には高野山真言宗寺院の関東における檀林として栄え、十三ヶ寺の末寺を擁していました。太平洋戦争により堂塔伽藍を焼失、平成24年に本堂を再建しています。

境内掲示による長楽寺の縁起

海詠山長楽寺は、高野山真言宗の寺院であります。江戸時代後期に編纂された「新編相模国風土記稿」によれば、長楽寺は紀伊国(和歌山県)高野山の直末寺であり、薬師瑠璃光如来を本尊とし真言宗寺院として大いに栄え、十三ヶ寺の末寺を配し三島神社の別当も務めたとされます。
また、関東檀林の一つとして教学盛んな一大教場をなしたとされる相模国の古刹であります。かつて、真言密教の開祖弘法大師空海が関東、東北地方へ巡錫の旅に出られた際、伊豆国修善寺より船で相模川の下流地、須賀湊に上陸され現在の長楽寺の地に最初に滞在されたとの史記もあります。
開山は文治元年(一一八五)頃、僧鎮海が草庵を建て海詠庵と称し住居したことに始まり、その後、建保三年(一二一六)に、僧朝秀が中興し庵号を海詠山としました。それより約八百年間、栄枯盛衰の年月を経て様々な出来事も多々あったと思われますが、昭和二十年の太平洋戦争による戦災で、塔堂伽藍を焼失したことが悔まれ、現在では、かつての面影は殆ど残されていません。境内には戦災を逃れた地蔵堂や貴重な石仏や石塔が残されています。
正面の本堂や庫裏は、平成二十年より進められた、長楽寺平成の大復興計画の一環で、六十七年ぶりに建立されました。本堂の須弥壇には、薬師瑠璃光如来を本尊とし、脇侍に日光、月光菩薩と、それを守護する薬師十二神将が奉安されています。(境内掲示より)

新編相模国風土記稿による長楽寺の縁起

(須賀村)
長楽寺
海詠山無動院と號す、古義眞言宗(高野山末)、關東檀林の一なり、相傳ふ、此地は弘法止宿ありし靈地にして、遥の後、僧鎮海草庵を結び、海詠庵と號して居住す、其後建保年中朝秀中興して、山寺號を稱せり、故に鎮海(卒年詳ならず、七月朔日を忌日とす、蓋文治の頃、在世の人なりと云、)を開山とし、朝秀を中興開山とす、本尊不動(長二尺八寸、脇士共に、弘法作又同作の地蔵を安ず)、弘法の衣一具を、什物とす(是は本山に安ずる弘法の像へ、毎年禁廷より賜る所の衣なり、文化十一年、高野山高室院より譲りし由、添状あり、)、
鐘樓。元禄八年、鑄造の鐘を掛、
護摩堂。薬師(三嶋明神の本地佛なり、長一尺五寸弘法作と云)を安ず、又當國新札所、第八番の觀音を置、
天神社
三峰社
銅塔(長八尺五寸)五智如来を安ず、塔前に燈明堂あり、(新編相模国風土記稿より)


長楽寺の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿