報恩山阿弥陀寺。府川出雲守吉種開基
阿弥陀寺の概要
浄土宗寺院の阿弥陀寺は、報恩山来迎院と号します。阿弥陀寺は、府川出雲守吉種(弘治3年1557年没)が開基となり、建蓮社起譽雲公(文禄2年1594年寂)が開山、徳川家康が関東入国した翌年の天正19年(1591)には寺領10石の御朱印状を受領していました。かつて当地には河津三郎信之(了源)が安貞元年(1227)に創建した浄土真宗寺院阿弥陀寺があったものの、空浄の代に東浦賀へ移転(乗誓寺)、当地にあった寺は浄土宗寺院に改められたと伝えられています。
山号 | 報恩山 |
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院号 | 来迎院 |
寺号 | 阿弥陀寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 平塚市平塚3-5-23 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
阿弥陀寺の縁起
阿弥陀寺は、府川出雲守吉種(弘治3年1557年没)が開基となり、建蓮社起譽雲公(文禄2年1594年寂)が開山、徳川家康が関東入国した翌年の天正19年(1591)には寺領10石の御朱印状を受領していました。かつて当地には河津三郎信之(了源)が安貞元年(1227)に創建した浄土真宗寺院阿弥陀寺があったものの、空浄の代に東浦賀へ移転(乗誓寺)、当地にあった寺は浄土宗寺院に改められたと伝えられています。
新編相模国風土記稿による阿弥陀寺の縁起
(平塚新宿)
阿彌陀寺
報恩山来迎院と號す、浄土宗(鎌倉光明寺末、)開山雲公(建蓮社起譽、文禄二年三月十四日卒、)開基府川出雲守吉種(弘治三年十月二十八日卒、法名道順、事蹟詳ならず、今子孫農民にあり、)按ずるに、東浦賀(三浦郡)乗誓寺傳に曾我十郎祐成の子、河津三郎信之、親鸞の弟子となり了源と稱す、安貞元年平塚庄に一寺を建立し、阿彌陀寺と號す、文明年中叡山の衆徒、大谷祖廟破却の時、阿彌陀寺の住僧空浄、碩學の聞えあるを以て、其寺をも破却すべき由風聞あり、故に空浄寺を捨て東浦賀に奔れり、其後阿彌陀寺を浄土宗に改め、今に存すと云、是に據れば起立は舊き事なれど、今當寺には改宗後の事のみ傳へたり、天正十九年十一月寺領十石の御朱印、且境内制札を賜へり、(注釈)
【寺寶】
御茶碗二口
御茶入一口
御茶室(班竹にて作れり)
霰釜一口(寶暦八年丙丁に罹りて損す、)
以上四品、東照宮此邊御放鷹の時、當寺にて御茶を召上られ、其器を賜りしと傳ふ、
鐘樓。享保十二年鑄造の鐘を掛、
稲荷社
府川氏墓。碑面に府川出雲守吉種(内方袈婆)弘治三丁巳年十月二十八日、息男子源太郎とあり
(按ずるに、寺傳に開基吉種の墓なりと云、されど内方袈婆と彫たれば、其室の墓なり)(新編相模国風土記稿より)
阿弥陀寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿