法雨山善福寺。紙ずき如来
善福寺の概要
曹洞宗寺院の善福寺は、法雨山と号します。善福寺は、鎌倉権五郎景政公が開基となり創建、その後華翁宗嫩(天正10年1582年寂)が中興開山したといいます。当寺の本尊木造阿弥陀如来立像は、紙ずき如来とも称され、平塚市重要文化財に指定されています。
山号 | 法雨山 |
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院号 | - |
寺号 | 善福寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 平塚市広川691 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
善福寺の縁起
善福寺は、鎌倉権五郎景政公が開基となり創建、その後華翁宗嫩(天正10年1582年寂)が中興開山したといいます。当寺の本尊木造阿弥陀如来立像は、鎌倉権五郎景政公の守護仏とも伝えられ、広川八幡神社の本地佛とされていた他、紙ずき如来とも称され、平塚市重要文化財に指定されています。
新編相模国風土記稿による善福寺の縁起
(廣川村)
善福寺
法雨山と號す、曹洞宗(宮下村大知寺末、)中興開山華翁宗嫩(天正十年九月廿八日卒、)開基は鎌倉權五郎景政と云傳ふ、本尊三尊彌陀(中尊安阿彌作、紙すき如来と稱す、長二尺、)
△荒神社(新編相模国風土記稿より)
善福寺所蔵の文化財
- 木造阿弥陀如来立像一軀。
木造阿弥陀如来立像一軀
本像は善福寺の本尊。『新編相模国風土記稿』広川村・善福寺の条に「紙ずき如来」と称すとも記されています。
上品下生の来迎印を結ぶ像で、着衣には蓮華唐草文・卍崩し文・丸文などの文様が精緻な切金で施されています。珍しく両手首から先が銅造で、螺髪は木芯に銅線を巻き付けて作られているほか、像底部に設けた二つの穴に丸枘を入れ、それを台座の枘内に差し込んで像を固定するように作られています。こうした螺髪や像底部の作り方は、口を開いて歯をのぞかせる「歯吹き阿弥陀」と呼ばれる特殊な阿弥陀像によく用いられました。歯が見えず、制作当初の両足を失っていますが、本像も「歯吹き阿弥陀」として制作されたものと考えられます。
低めの頭髪、曲線を描く髪の生え際、装飾性の強い衣文表現、裙・偏衫・大衣をまとう服制などに宋風の特色が認められ、張りの強い顔や起伏を弾力的にとらえた体軀には、的確な写実性が保たれています。
鎌倉時代後半も早い頃の制作と推定され、「歯吹き阿弥陀」系の作例の中では、古い時期の作品として貴重な存在といえます。(平塚市教育委員会掲示より)
善福寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿