大上山真芳寺。室町時代創建
真芳寺の概要
曹洞宗系単立寺院の真芳寺は、大上山と号します。真芳寺は、小田原北條氏支族出身の仁忠(天文2年1533年寂)が開山、小田原北条氏の庇護を受け、徳川家康の関東入国に際しては天正19年(1591)に寺領10石の御朱印状を受領していました。
山号 | 大上山 |
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院号 | - |
寺号 | 真芳寺 |
本尊 | 釈迦牟尼仏像 |
住所 | 平塚市大神2138 |
宗派 | 曹洞宗系単立 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
真芳寺の縁起
真芳寺は、小田原北條氏支族出身の仁忠(天文2年1533年寂)が開山、小田原北条氏の庇護を受け、徳川家康の関東入国に際しては天正19年(1591)に寺領10石の御朱印状を受領していました。
新編相模国風土記稿による真芳寺の縁起
(大神村)
眞芳寺
大上山と號す、曹洞宗、(津久井縣根小屋村、功雲寺末、)開山仁忠、(天文二年三月廿日卒、小田原北條の支族と云、)天文十七年二月、北條氏より採事を許さる、
(所蔵文書曰、自大神新芳寺、薪草無相違、可爲取之者也、若兎角之儀有之者、小田原へ可被申越候、仍如件、天文十七戊申二月廿八日、新芳寺、)
十月當寺作事の時、匠の事に依て命あり、
(曰、當寺作事、番匠志次第、来候者に可被爲之候、横合非分之儀、不可有之也、仍如件、天文十七戊申十月二日、新芳寺、)
又毎年、葭十束を與へし事見えたり
(曰、よし拾束づつ、毎年大藤代所より可被謂取之者也、仍如件、壬戌十月十五日、新芳寺、增阿彌奉、按ずるに壬戌は、永禄五年なるべし、以上文書、皆虎朱印あり、)
延寶二年九月、寶山摠領派と定むるの壁書あり、
(曰、眞芳寺開山仁忠者、寶山之長嫡、竺庵之爲總領式上者、寶山一派總領派、相極條、於寶山派論爭之哉、爲後来、仍三判如件、延寶二寅年九月十八日、相州眞芳寺、龍穏寺、大了印、大中寺好覺印、總寧寺一閑印)
文政十二年、火災に罹りて未再建ならず、釋迦を本尊とす、寺領十石の御朱印は、天正十九年十一月賜へり、北條氏文書三通を寺寶とす、(其文前に見えたり、)
△白山社
△稲荷社(新編相模国風土記稿より)
真芳寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿