圓通山大会寺。北向観音堂、大會御堂
大会寺の概要
真言宗大師派寺院の大会寺は、圓通山不動院と号します。大会寺の創建年代等は不詳ながら、源頼朝が定めた五大堂の一つ大會御堂とされ、北向観音堂と称されてきたといいます。大會御堂では、北条政子の出産に際して、源頼朝が安産祈願をしたことが知られています。また本尊の聖観世音菩薩像は、聖徳太子作と伝えられています。
山号 | 圓通山 |
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院号 | 不動院 |
寺号 | 大会寺 |
本尊 | 大日如来坐像 |
住所 | 平塚市四之宮3-14-18 |
宗派 | 真言宗大師派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大会寺の縁起
大会寺の創建年代等は不詳ながら、源頼朝が定めた五大堂の一つ大會御堂とされ、北向観音堂と称されてきたといいます。大會御堂では、北条政子の出産に際して、源頼朝が安産祈願をしたことが知られています。また本尊の聖観世音菩薩像は、聖徳太子作と伝えられています。
新編相模国風土記稿による大会寺の縁起
(四ノ宮村)
觀音堂
北向聖觀音と唱ふ(聖徳太子作、長三尺三寸)、圓通山大會寺と號す、賴朝求福の靈場なりと云、【東鑑】に、五大堂、又大會御堂と號すと記せしは、則此所なり、
(【東鑑】の文、下に註す、按ずるに、今五大堂を此所と定めたるは、【東鑑】に其所在を八幡と註し、又大會御堂の名、今の寺號に合し、且鐘銘にも、賴朝信仰ありし事見ゆ、又此邊の字に、大會前、大會下など、唱ふるあればなり、)
建久三年八月、賴朝夫人臨産の時、令して誦經せしめし事あり、
(【東鑑】八月九日條曰、御臺所御産氣、鶴岡、相模國神社佛寺奉神馬被修誦經云々、五大堂、八幡、號大會御堂云々、)高林寺持
鐘樓。延享元年鑄造鐘(銘に圓通山大會寺者、觀音之大士、垂化勝地、賴朝将軍、求福靈場、其信徳之所餘、乃雖堂宇至今、聳空巍巍云々、)を掛、
寮。地蔵を安ず、(新編相模国風土記稿より)
大会寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿