日輪山高林寺。県指定文化財の大日如来坐像
高林寺の概要
真言宗大師派寺院の高林寺は、日輪山不動院と号します。高林寺の創建年代等は不詳ながら、江戸期には四之宮に鎮座していた山王社・諏訪社・天満宮・稲荷社の別当を務めていました。明治維新後の神仏分離により廃寺となった前鳥神社別当鏡智院の本尊大日如来坐像は、当寺に移され、現在当寺の本尊となっています。
山号 | 日輪山 |
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院号 | 不動院 |
寺号 | 高林寺 |
本尊 | 大日如来坐像 |
住所 | 平塚市四之宮3-2-51 |
宗派 | 真言宗大師派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
高林寺の縁起
高林寺の創建年代等は不詳ながら、江戸期には四之宮に鎮座していた山王社・諏訪社・天満宮・稲荷社の別当を務めていました。明治維新後の神仏分離により廃寺となった前鳥神社別当鏡智院の本尊大日如来坐像は、当寺に移され、現在当寺の本尊となっています。
新編相模国風土記稿による高林寺の縁起
(四ノ宮村)
高林寺
圓通山不動院と號す、古義眞言宗(須賀村長楽寺末)、本尊不動、中興開山宥儀(文政九年十月十六日卒、)
稲荷社
地神社(新編相模国風土記稿より)
高林寺所蔵の文化財
- 大日如来坐像(神奈川県指定重要文化財)
- 江戸ケ崎供養塔
大日如来坐像
この坐像は『新編相模國風土記稿』四之宮村、鏡智院の条に「本尊大日。長三尺五寸」と記されている像で、明治初年の廃仏毀釈により鏡智院が廃寺となり、近くの大会寺に他の諸像と共に客仏として安置され、現在高林寺の本尊となっています。
智拳印を結ぶ金剛界大日如来坐像。
本像の頭部内に
「康永三年甲申五陽
奉修復之者也
地頭兼神主藤原季□
修造司周豪」
と康永三年(一三四四)の修理墨書銘があり、造立年代はこれよりさかのぼると思われますので、鎌倉後期の作と推定されます。(平塚市教育委員会掲示より)
江戸ケ崎供養塔
江戸時代後期、無敵とうたわれた雷電為右衛門に最後の黒星を与えたのが、相模国大住郡四之宮村出身の江戸ケ崎源弥です。
江戸ケ崎は天明元年(一七八一年)平野家に生まれました。寛政七年(一七九五年)三月に「大隈」のしこなで初土俵を踏み、後に「荒馬」と改名しました。同十年十月に入幕し、文化元年(一八〇四年)三月には関脇に昇進しました。この間に久留米藩有馬家のお抱え力士になり、同七年二月には、しこなを「江戸ケ崎」に改めました。
幕内に二十四場所在位し、百二十四勝三十七敗という好成績を残した江戸ケ崎でしたが、文化九年(一八一二年)七月十日、京都へのぼる途中、東海道藤川宿(現在の愛知県岡崎市)で現役のまま亡くなりました。三十二歳でした。この供養塔は、没後三十五年目にあたる弘化四年(一八四七年)九月に四之宮村で追善相撲が興行された際、建立されたものです。(平塚市掲示より)
高林寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿