坂ノ下御霊神社。旧村社、鎌倉・江の島七福神の福禄寿
坂ノ下御霊神社の概要
坂ノ下御霊神社は、鎌倉市坂ノ下にある御霊神社です。坂ノ下御霊神社の創建年代は不詳ですが、鎌倉周辺には大庭、梶原、長尾、村岡、鎌倉の平氏五家があり、これら先祖を祀る神社として五霊神杜が建てられ、その五霊が御霊にかわり、いつしか祭神も景正公一柱になったと推定されています。元村社に列格していました。鎌倉・江の島七福神の福禄寿です。
社号 | 御霊神社 |
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祭神 | 鎌倉権五郎景政公 |
相殿 | - |
境内社 | 石上神社、地神社、金刀毘羅社、秋葉神社、祖霊社、稲荷社 |
祭日 | 例祭日9月18日 |
住所 | 鎌倉市坂ノ下4-9 |
備考 | 鎌倉・江の島七福神の福禄寿 |
- 坂ノ下御霊神社鳥居
- 坂ノ下御霊神社拝殿
- 坂ノ下御霊神社宝物庫
- 坂ノ下御霊神社神輿庫
- 坂ノ下御霊神社弓立の松
- 境内社秋葉神社稲荷社
- 境内社第六天社
- 境内社石上神社地神社金毘羅社
- 境内社御嶽山神社など
- 境内社祖霊社
坂ノ下御霊神社の由緒
坂ノ下御霊神社の創建年代は不詳ですが、鎌倉周辺には大庭、梶原、長尾、村岡、鎌倉の平氏五家があり、これら先祖を祀る神社として五霊神杜が建てられ、その五霊が御霊にかわり、いつしか祭神も景正公一柱になったと推定されています。元村社に列格していました。
鎌倉市掲示による坂ノ下御霊神社の由緒
御霊とは、強く尊い祖先の御霊の意で、神社の創建は、平安時代後期と伝えられています。桓武天皇の子孫で「鎌倉武士団」を率いた鎌倉権五郎景正を祀っています。
景政は、後三年の役(一〇八三〜)に十六歳で出陣して勇名をはせ、その後現在の鎌倉・湘南地域を開発した領主です。地元では「権五郎さま」と呼ばれ、親しまれています。
毎年九月に行われる「面掛行列」は、伎楽や舞楽、田楽などの古い面をつけた面掛衆が練り歩く珍しい珍事です。(鎌倉市掲示より)
境内掲示による坂ノ下御霊神社の由緒
鎌倉・江の島七福神 面掛福禄寿 御霊神社
御霊神社は其の昔鎌倉近辺には大庭・梶原・長尾・村岡・鎌倉という平氏五家があり、これら五家の祖を祀る神社として御霊神社が建てられこれが御霊神社となり祭神し、いつしか武勇で名高い領主の鎌倉権五郎景政公一柱だけを祀るようになりました。
この権五郎景政公の命日が九月十八日でこの例祭日には昔から面掛け行列という珍しい行事があります。これは伎楽や舞楽・田楽などに使われる特異な面を十人衆がつけ古いいでたちで街の中をねり歩く県指定の文化財です。此の十一面の中に「福禄寿」が含まれており此れにちなんで「福禄寿」が宝物庫に安置されています。(境内掲示より)
神奈川県神社誌による坂ノ下御霊神社の由緒
当社の創立については詳らかではないが、御霊信仰の思想と鎌倉地方開発の跡を考えあわすと、平安末期には存在していたものと思われる。祭神・鎌倉権五郎景正公は、桓武天皇の子孫で平家一門であるが、当時関東には大庭、梶原、長尾、村岡、鎌倉の平氏五家があって、これら先祖を祀る神社として五霊神杜が建てられ、その五霊が御霊にかわり、いつしか祭神も景正公一柱になったものと考えられる。
権五郎景正公の事は『奥州後三年記』(南北朝時代に書かれた絵巻物)に書かれて居り、その武勇、廉恥の物語は有名である。景正公の領地は大庭の御厨(現在の藤沢市鶴沼あたり)を中心にして、その飛地は坂ノ下から長谷の一部にまで及び、当社の祭神が景正公一杜になったのも当地の領主であったからであろうと思われる。(文学博士、中村孝也氏の研究、及び市史より転記)
鎌倉時代には幕府の崇敬も厚く、『吾妻鏡』文治元年(一一八五)八月二十七日の条には、御社殿が鳴動して頼朝の参詣があり、願書を奉納し、巫子等面々に賜物があったという。又、建久五年(一一九四)正月四月の条に、御奉幣を遣わしたとあり、同年十一月二十一日の条には、御霊社の前浜にて千番の小笠県があり、和田義盛が奉行したとある。更に建保三年(一二一五)六月二十日、建長四年(一二五二)十一月十七日の条にも記事がある。
現在の社殿は明治四十五年改築されたものである。境内には手洗鉢(元禄十三年二七〇〇)、石燈籠(文政七年・一八二四)、石造鳥居(嘉永三年・一八五〇)などがある。別当は成就院であった事が『相模風土記』に見える。元村社で坂ノ下区の氏神社である。(神奈川県神社誌より)
境内掲示による境内社石上神社の由緒
御霊神社の境内末社、石上神社の御神体は御霊の前浜沖二kmに沈んでいた巨大な石。
漁船が度々座礁することから江戸時代末期、この大石の上部を切り上げて境内に海上安全の神としてお祀りしました。七月の第三月曜日(海の日)に行われる石上神社の例祭は、一名御供流と呼ばれ大石のあった沖合まで若者達が供物を手に高々と捧げて泳ぎ供える神事です。
石上神社には大小二基の白木の神輿があります。大嵐で材木座海岸に流れ着いた大材木で造られたと言伝えられています。
昔はこの大神輿を御供流しの時に沖合迄泳ぎこぎましたが現在は小神輿を舟におのせしての海上渡御となっています。(境内掲示より)
坂ノ下御霊神社所蔵の文化財
- 面掛行列(神奈川県指定無形文化財)
- 鎌倉神楽(鎌倉市指定無形文化財)
- 神輿一基(鎌倉市指定文化財)
- 太刀一口(鎌倉市指定文化財)
- 面と衣裳(鎌倉市指定文化財)
- 獅子頭二頭(鎌倉市指定文化財)
- 浅香一足(鎌倉市指定文化財)
- 石造庚申塔一基(鎌倉市指定文化財)
坂ノ下御霊神社の周辺図