佛日庵。円覚寺開基北条時宗を祀る開基廟
佛日庵の概要
臨済宗円覚寺派寺院の佛日庵は、円覚寺境内にある円覚寺の塔頭寺院です。佛日庵は、円覚寺大檀那である北条時宗・貞時・高時を祀る開基廟として、北條時宗逝去後に建立され、僧鶴隠の代に円覚寺塔頭となったといいます。鎌倉観音霊場第三十三番札所、 鎌倉地蔵霊場第十四番、圓覚寺百観音霊場第四番札所となっています。
山号 | - |
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院号 | 佛日庵 |
寺号 | - |
本尊 | 傑翁是英像 |
住所 | 鎌倉市山ノ内416 |
宗派 | 臨済宗円覚寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 一般参観不可 |
佛日庵の縁起
佛日庵は、円覚寺大檀那である北条時宗・貞時・高時を祀る開基廟として、北條時宗逝去後に建立され、僧鶴隠の代に円覚寺塔頭となったといいます。
新編相模国風土記稿による佛日庵の縁起
佛日庵
北条家の祠堂なり。(注釈を読む)
舊は輪番たり。後僧鶴隠が時塔頭に属す。(注釈を読む)
故に鶴隠を以て中興開祖とす。 (注釈を読む)
永徳四年管領氏満状を下して造営料を寄附す。(注釈を読む)
永禄七年九月北條家より敷地一貫六百文を寄せらる。(注釈を読む)
八年六月又尾藤谷にて一貫二百文の地を寄附あり。(注釈を読む)
此頃北條家の旨を承て、雩号の事を務む。(注釈を読む)
九年六月大道寺駿河守資親敷地壱貫六百文の所先掟の如く寄附ある旨證状を授与す。(注釈を読む)
元亀二年扇谷の内にて、三貫文の地を善九郎某と云者寄附す。(注釈を読む)
四年十月北条家より東勝寺分の地を預けらる。(注釈を読む)
元亀四年癸酉十月十九日、佛日庵中将奉之。
【寺寶】
天国寶剣一振。長二尺五寸許。寺伝に、貞時、高時の廟を移す時土中より石室を掘得しに、此剣を収むと云ひ、又北條家より納る所とも云ふ。
達磨画像一幅。牧渓筆、画上に瓊渓の讃あり。
径山佛智禅師語録二本。宋人林希逸が騰写する所なり。巻尾に竹渓林希逸書と記せり。
古文書十四通。(中略)
檀那塔。小堂を構へ中央正観音を安ず。立像長1尺余、恵心作。右に北条時宗の像を安じ、同牌を置く、法光寺殿大禅定門、弘安七年甲申四月四日と記せり。
其傍に時宗室の牌あり。
潮音院殿覚山志道大姉と記す。霊屋を慈氏殿と云ふ。
左に貞時・高時の二像を安ず。各牌あり。
貞時牌曰、最勝園寺殿宗禅大禅定門、慶長元年十月二十六日、高時牌云、日輪寺殿祟鑑大禅定門、元弘三年五月廿二日。
其傍に高時が三子の牌及び像を置く。
鹿山略記曰、各薙髪之形相着緇云々。
各遺骨を石柩に蔵め、堂下に湮埋すと云ふ。(新編相模国風土記稿円覚寺項より)
開基廟について
圓覚寺大檀那である北条時宗・貞時・高時をお祀りしてあります。
廟所とは、石碑を建てその上にお木像を祀るお堂を建てたものが正式のお墓で、国に特に業績のあった人にのみ許されたものです。
時宗公は、一二八四年四月四日に亡くなられています。つまりは圓覚寺が建立されてから二年後のことです。時宗公が亡くなられた後に開基廟が建立されたようですが、現在の開基廟は江戸時代一八一一年に改築されたものとされています。
新編相模風土記によれば、お堂の下に各遺骨を納めた石櫃があるとの伝えが記されています。
また、幾度の困難な戦災をくぐり抜け、ずば抜けた才能で幕府をまとめあげていたことから、学問の神・開運の神と崇められていました。(境内掲示より)
佛日庵の周辺図