続燈庵。鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派寺院

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続燈庵。円覚寺の塔頭寺院、今川範国中興開基

続燈庵の概要

臨済宗円覚寺派寺院の続燈庵は、萬富山と号し、円覚寺境内にある円覚寺の塔頭寺院です。円覚寺三十世佛満禅師のために足利尊氏が貞冶元年(1362)創建したといいます。佛満禅師の弟今川範国(駿河今川氏の初代)が中興開基となり大永4年(1524)再造、後古河上杉氏の祈願所となっていた他、多くの寮舎を構えていたといいます。

続燈庵
続燈庵の概要
山号 萬富山
院号 -
寺号 続燈庵
本尊 聖観世音菩薩像
住所 鎌倉市山ノ内431
宗派 臨済宗円覚寺派
葬儀・墓地 -
備考 一般参観不可



続燈庵の縁起

続燈庵は、円覚寺三十世佛満禅師のために足利尊氏が貞冶元年(1362)創建したといいます。佛満禅師の弟今川範国(駿河今川氏の初代)が中興開基となり大永4年(1524)再造、後古河上杉氏の祈願所となっていた他、多くの寮舎を構えていたといいます。

新編相模国風土記稿による続燈庵の縁起

続燈庵
萬富山と号す。門に額あり、高辻前大納言筆。文和年中尊氏佛満のために創建し、師を以て開祖とす。中興開基は今川五郎範国入道心者なり、佛満の弟、至徳元年5月19日卒。大永4年今川修理大夫氏親再造せり。旧は多福軒・笑月軒・梅雪軒・半寮宗なりと号する寮舎ありしと云。今は廃せり。永禄9年6月大道寺駿河守資親庵領安堵の證状を寄す。
曰、続燈庵知行之事、相任先證文之口、無相違進置者也。自今以後、不可有横合所、為後日仍一筆如件、永禄9年丙寅6月3日、続燈庵、大道寺華押。
此頃の事か古河義氏永く当庵を祈願所とす。
曰、佐貫之邊御座候内、被抽懇祈候、無相違令還御候。実以感悦之至候、仍続燈庵之事、向後可為祈願所候、弥以精誠可喜入候恐々謹言、10月9日。続燈庵法葩西堂。義氏華押。
10年5月古河義氏より総州古河の内、15貫文地を合力として寄附あり。
曰、於古河之内、十五貫文分、以田畠、可有御合力之状、如件、丁卯、永禄10年5月21日、朱印、続燈庵。法葩西堂。
12年9月当庵祈願所として違乱の徒まじき旨北条美濃守氏規證状を寄す。
曰、円覚寺之内続燈庵、従前々為祈願所之間至于何年、横合非分之儀不可申懸、就被威不入所、萬乙於有狼藉之輩可預忠信之状如件、己巳、9月20日、平氏規華押。
客殿。霊亀殿と号す。額を掲ぐ、僧月船筆。開祖の像を安ぜり。
寺宝
開祖佛満禅師墨跡。
承先和尚墨跡。
尊氏自筆法華経一巻、尊氏、父貞氏が為に書写せしと云。奥書あり、曰、奉為三品観公禅定門、修五種妙行、観應3年9月5日書写了。正二位源尊氏華押。
十六善神画像一幅、巨勢金岡筆。
亀甲一枚。寺伝に云、往昔佛満禅師法義を談ずる時、いづくともなく、縁毛の霊亀来て、其席前に臨、縮首して動かず、殆法論聴聞の状をなす。法会畢て後、尚去らず、いつしか精神己脱去して、只其甲を残せり。於是衆奇異の恩をなし、即取て珍蔵せり。是より方丈を呼て、霊亀殿と号す。此れ甲尋常の亀に比すれば、甲高く斑文、亀甲に勝れて玲瓏たりと云ふ。
推朱香合一合。最古色の物なり。椿の花葉を彫す。
古文書九通、内四通は前に注記せり。一は至徳2年管領氏満が大義庵に寄する庵領の寄附状、一は応永4年円覚寺に寄する氏満の下知状、一は永禄中古河義氏の書簡、一は同9年大道寺駿河守資親が出せる敷地の證状、一は元亀3年方丈陸奥守氏照が證状。
開山入定窟、客殿の背後にあり。祥光塔と号す額あり。月船筆。(新編相模国風土記稿円覚寺項より)


続燈庵所蔵の文化財

  • 木造観世音菩薩坐像
  • 銅造佛應禅師骨壷(重要文化財)

続燈庵の周辺図