坂ノ下虚空蔵堂。鎌倉市坂ノ下にある真言宗大覚寺派寺院

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

坂ノ下虚空蔵堂。星月の井に因み行基僧正造像

坂ノ下虚空蔵堂の概要

真言宗大覚寺派寺院の坂ノ下虚空蔵堂は、明鏡山円満院星井寺と号します。坂ノ下虚空蔵堂は、古井戸「星月の井」の中に虚空蔵菩薩像の御影を見た行基僧正が、虚空蔵菩薩像を自ら彫り、御堂を建立したと傳らえます。源頼朝公もこの虚空蔵菩薩像を崇敬、仏師運慶に前立の虚空蔵菩薩像を造立させて奉安したといいます。成就院の境外仏堂です。

坂ノ下虚空蔵堂
坂ノ下虚空蔵堂の概要
山号 明鏡山
院号 円満院
寺号 星井寺
本尊 -
住所 鎌倉市坂ノ下18-28
宗派 真言宗大覚寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



坂ノ下虚空蔵堂の縁起

坂ノ下虚空蔵堂は、古井戸「星月の井」の中に虚空蔵菩薩像の御影を見た行基僧正が、虚空蔵菩薩像を自ら彫り、御堂を建立したと傳らえます。源頼朝公もこの虚空蔵菩薩像を崇敬、仏師運慶に前立の虚空蔵菩薩像を造立させて奉安したといいます。成就院の境外仏堂です。

鎌倉市掲示による坂ノ下虚空蔵堂の縁起

明鏡山円満院星の井寺
(御本尊虚空蔵菩薩安置)
天平年間、聖武天皇の御代に諸国行脚中の行基僧正が当地の古井戸「星月の井」い明るく輝く明星の光が移るとのうわさを地元民から聴き、井戸をのぞくと中に虚空蔵菩薩のお姿が写し現れていた行基はそのお姿を仏像に彫り当地にお堂を建立し安置した。
かの像は明星の照曜の如き光を放ち、鏡に影の移る如くでありました。以後数百年経って幕下の征夷大将軍源頼朝公はこの菩薩を崇敬し、この菩薩像を内陣仏の秘仏とし、仏師運慶に外陣仏を作らせたこれが前立像であるという。秘仏虚空蔵菩薩はわが国では唯三体の木彫の仏像で大変貴重な仏像であります。これに加えてこの御仏は明星と一体で、その分身であり限りない知恵をそなえた御仏で、経典では虚空蔵菩薩は、西方香集世界の教主で娑婆世界の苦難する人々の利益のために無不畏陀羅尼を説くことを、釈迦・敷蔵の二仏に許された御仏であります。即ちその本尊に礼するものは三世十方一切の諸仏を礼することと同じであるといわれます。
又、虚空蔵菩薩を本尊として修業する虚空蔵求聞持法では心を静かにしこの真言を唱えれば天より明星が口に入り、菩薩の威はあらわれて頭脳は明晰となり記憶力は増進するといわれております。
秘仏であるが衆生に縁を結ぶせるべきであるとして三十五年一度に開帳し衆生にそのお姿を拝する事が許されました。
近代に至り熱心な信仰者の意に添うようにと毎年正月十三日に開帳し善男善女もそのお姿を毎年拝することが出来るようになりました。正月十三日の初護摩供養には、丑年寅年の人々の守本尊として、また、知恵、記憶力をお授け下さる虚空蔵様として地元民をはじめ各地より善男善女が参詣に集まります。(虚空蔵堂護持会掲示より)

新編相模國風土記稿による坂ノ下虚空蔵堂の縁起

(坂ノ下村)
虚空蔵堂
明鏡山(【鎌倉志】には星月山に作る)星井寺と號す、極楽寺村成就院持なり、本尊は行基の作像なり(木佛立像長三尺)縁起に據るに聖武帝の天平年中此寺の井に光あり、村民奇として是を見るに井の邊に虚空蔵の彩出現す、此由天聴に達しければ行基に勅ありて此像を造らせられ、即爰に安置ありしと云へり、堯惠が紀行に星の御堂とあるは此堂なり、
【什寶】
△明星石一顆(星ノ井より出し物と云ふ)
△独鈷(行基所有の物と云ふ、下同じ)
△唐錢六文(是も照天姫、所持せし物と云ふ、祟寧通寶二文、祟寧重寶四文とあり)
△駒爪(小栗判官の乗馬、鬼鹿毛の爪なりと傳ふ、)(新編相模國風土記稿より)


坂ノ下虚空蔵堂の周辺図


参考資料

  • 新編相模國風土記稿