日枝大神社。川崎市川崎区小田の神社

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

日枝大神社。天暦2年創建、近隣のの総鎮守

日枝大神社の概要

日枝大神社は、川崎市川崎区小田にある神社です。日枝大神社は、比叡山日吉大社の分霊を勧請して天暦2年(948)に創建、江戸時代には江戸幕府より社領10石の御朱印状を受領、隣村下新田村、菅沢村、及び小田村の総鎮守だったといいます。明治6年村社に列格、明治42年村内にあった浅間神社、杉山神社、新明社、下新田稲荷社を合祀したといいます。

日枝大神社
日枝大神社の概要
社号 日枝大神社
祭神 大山咋命
相殿 天照皇大神、大山津見命、豊受姫命、木花開耶姫命、大国主之命
境内社 八王子社
祭日 例大祭5月15日
住所 川崎市川崎区小田2-14-7
備考 -



日枝大神社の由緒

日枝大神社は、比叡山日吉大社の分霊を勧請して天暦2年(948)に創建、江戸時代には江戸幕府より社領10石の御朱印状を受領、隣村下新田村(現浅田町)、菅沢村(現鶴見区菅沢町)、及び小田村の総鎮守だったといいます。明治6年村社に列格、明治42年村内にあった浅間神社、杉山神社、新明社、下新田稲荷社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による日枝大神社の由緒

(小田村)山王社
御朱印十石、村の中央にあり、本社宮造り九尺に二間拝殿三間に二間、神體丸き石なり、圓周八九寸、別にかわりたる石とも見えず、土人云古の神體は黄金をもて作れる扇子の開きたるに日月星辰を鋳たるものなりと、いつの頃か賊の手に奪はれたりと、後その形を真鍮にて模し、年々祭禮のころは今の里正榮助が家にて承り、馬上にて捧持し神輿の先にたつ古例なりとぞ、かの真鍮にて作れる扇子と云へるものも近来のものにてはなく古色なり、例祭年々四月中の申の日なり、隣村下新田菅澤當村すべて三村の鎮守たるにより祭の頃は此三村のものとも出でとり行へり、中にも神輿の馬後を馬上にて守護するもの十二人なり、村内を過て下新田菅澤村をわたして、夫より社地に還れり、此山王はもと比叡山坂本山王権現の遥拝のために爰に社を設くることとぞ、故に比叡の宮などいへるもあり、是もその始をしらず、ただ口碑に傳るのみ、稲毛領平村より禰宜来りてとりをこなへり、末社なり下同。
子神三峯合社。社に向て左の方にあり。
別當円能院
新義真言宗、同郡神奈川宿金蔵院末、金澤山福泉寺と號す、開山開基詳ならず、世代の内に法印秀盛と云るあり、是は寛永十年正月六日に寂せし人なり、この住僧より以来連綿とつづけり、是より以前の住僧は云傳なし、法流開山は秀恵と云へり、是は近来のことなり、本尊大日如来坐像にて二尺許、客殿八間に六間すべて南向、境内ともに御朱印の内なり、山王の前小径を隔ててあり、又山王の縁起左に出す、
圓能山山王権現縁起
武州橘樹郡河崎之領小田村氏者、惣廟山王大権現、天暦貳戊申三月申日、京都従比叡山遷、
村上天皇之御代仁奉守護、本地阿彌陀如来、山者金澤、寺請福泉、院號圓能、本地大日如来也、鎮守在(以下省略)
杉山社
村の西の方にあり、小社南向前に小鳥居あり。
比叡宮
宮地ばかりにて社なし、社地中に大なる銀杏樹あり、是を神木とす、村の西隅にあり。
伊勢宮
村の南の方にあり、小社前は小鳥居あり。
浅間社
村の南の方にあり、小社。
山神社
村の東の方にあり、前に石鳥居あり、以上の五社は皆山王御朱印地の中にたてり、共に円能院の持なり。
稲荷社
字釜ヶ淵にあり、小社なり村持。(新編武蔵風土記稿より)

神奈川県神社誌による日枝大神社の由緒

天暦二年(九四八)三月中日、京都比叡山坂本山王権現の御分霊を勧請し、山王権現と号し比叡宮と称した。はじめ村の西隅にあった社殿を何時の頃か村中央なる現今の地に遷座した。旧幕の頃御朱印地十石あり、隣村下新田村、菅沢村等の総鎮守で、例祭は四月申の日、神輿渡御の際は村内旧家十二人何れも乗馬で警固供奉し、村内を巡幸し行列頗る古風を存したという。王政維新迄は真言宗円能院が別当職であった。明治六年十二月村社に列せられ、社号も日枝大神社と改め、大祭を五月十五日と定めた。
明治四十二年三月十四日、無格社浅間神社、杉山神社、新明社、下新田稲荷社を合祀した。(神奈川県神社誌より)

境内掲示による日枝大神社の由緒

日枝大神社は皇紀一六〇八年天暦貳年戌申(西暦九四八年三月中日)人皇六十二代村上天皇の御代京都比叡山坂本山山王権現(日吉神社)の御分霊を勧請したもので、山王権現と号し比叡宮と称しました。
始めは小田村の西隅に社殿がありましたが、いつの頃からか(不明)現在の処に遷座されたといわれます。旧跡地には有名な銀杏の神木があって大正時代まで残っていたとのことです。
旧幕(江戸時代)の頃御朱印地拾石で、隣村下新田村(現浅田町)菅沢村(現鶴見区菅沢町)等の総鎮守(氏神様)でした。
大祭は四月中の申の日、御輿渡御の際は村内旧家十二人がいづれも馬に乗り、警個供奉して三ヶ村を巡幸しました。その行列は頗る古風を極めた物と言われます。
明治維新までは、真言宗円能院が別当職でした。
明治六年十二月に村社に列せられて社号も日枝大神社と改められ、大祭日は五月十五日と定められました。
大正十三年三月十四日神饌幣帛供進する神社に指定されました。(境内掲示より)


日枝大神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 神奈川県神社誌