大島八幡神社。川崎市川崎区大島の神社、旧大島村の鎮守

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

大島八幡神社。源義家が関東で勢力拡大した時期の創建、大島村の鎮守

大島八幡神社の概要

大島八幡神社は、川崎市川崎区大島にある八幡神社です。大島八幡神社の創建年代等は不詳ながら、源義家が前九年、後三年の役(1051-1087)により、関東に一大勢力築き、当社のその一社として創建したのではないかといい、江戸期には大島村の鎮守社だったといいます。

大島八幡神社
大島八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別命
相殿 伊弉諾命、伊弉冉命
境内社 権現社、稲荷社
祭日 例大祭8月第一土日曜日
住所 川崎市川崎区大島3-4-8
備考 -



大島八幡神社の由緒

大島八幡神社の創建年代等は不詳ながら、源義家が前九年、後三年の役(1051-1087)により、関東に一大勢力築き、当社のその一社として創建したのではないかといい、江戸期には大島村の鎮守社だったといいます。

新編武蔵風土記稿による大島八幡神社の由緒

(大島村)八幡社
村の東の端にあり、勧請の年歴詳ならず。神体は秘し置は見ことを許さず、覆屋あり前に拝殿三間に二間なるあり。四十間ばかりを隔て石の鳥居あり。村の惣鎮守にして例祭年々六月十四日なり。此時神輿を旅所へ渡して読経をなせり。此旅所は大島村の境にありて除地二畝六歩あり。(新編武蔵風土記稿より)

神奈川県神社誌による大島八幡神社の由緒

別当寺火災の為古記録は一切失われ詳細は判然としない。
江戸時代以来大島村鎮守として村民和楽の中心であった。その爲氏子の信仰も篤く、戦前でも月々二、三千円の匿名の寄付があり、霊験あらたかなるお宮とされていた。戦災により建物の総てを焼失したが、氏子崇敬者の赤誠によりいち早く社殿、社務所が再建され、また年を追うごとに境内も整備されつつある。(神奈川県神社誌より)

境内掲示による大島八幡神社の由緒

当神社は江戸時代に別当をつとめていた真観寺が火災に遭い、古い記録の一切が失われたため、その由来は審らかではありません。
往昔、源義家が八幡太郎を名乗って前九年、後三年の両大役(一〇五一〜一〇八七年)に勝利を得、関東に一大勢力築いて以来、源氏一族は八幡神を氏神としてその御神徳を慕い、武運長久、家門隆盛を祈ってそれぞれの領域に八幡社を建立致しました。当八幡神社も、この地域の住民たちが両大役の折源氏方の将兵の宿泊に民家を提供したり、兵糧を提出したりして協力したことに対し、源氏一族が感謝のしるしとして建立したものと伝えられています。
その後今日まで、当神社は、氏子の崇敬極めて篤く、村民和楽の中心として栄えてきました。特にしばしば匿名の篤志者による多額の奉納があり、その霊験のあらたかさは、今でも遠く氏子外の人々にも知れわたっております。また、大島村は江戸時代までは河崎山王社(現在稲毛神社)の氏子でもあり、現在も同神社に伝わる格式高い重儀「宮座式」の重要な所役を担っています。この一事をみても当地域が古くから川崎郷の中で枢要な役割をはたしていたことが推察されます。
昭和二十年四月の戦禍で本殿はじめ全ての建造物を焼失しましたが、その復興も極めて順調に行われました。そして現在は大島地域の鎮守として多くの参拝者をあつめ、例祭をはじめとする祭事行事も氏子の崇拝者の連帯協力により近年盛大に執り行われていることは喜ばしい限りです。また、境内には「大島新田記念碑」(文化七年一八一〇年建立)日露戦争凱旋記念狛犬(明治三十九年建立)「伝桃記念碑」(大正四年建立)などがあり、郷土の先人たちの成し遂げた偉業を今に伝えています。(境内掲示より)


大島八幡神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 神奈川県神社誌