汐留稲荷神社。名主池上太郎左衛門幸豊が新田開発の際に勧請
汐留稲荷神社の概要
汐留稲荷神社は、川崎市池上新町にある稲荷神社です。汐留稲荷神社は、大師河原村の名主池上太郎左衛門幸豊が当地池上新田を開発、新田の鎮守として宝暦11年(1761)に創建したといいます。当社の祭神としても祀られている池上太郎左衛門幸豊は、当地開発の他にも製塩・茫硝(火薬の原料)・ナシやブドウの栽培・砂糖の製造などを興し、川崎を発展した人物です。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 豊受比売神、大物主神、崇徳天皇、池上太郎左エ門幸豊命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 7月最終日曜日 |
住所 | 川崎市池上新町2-24-21 |
備考 | - |
汐留稲荷神社の由緒
汐留稲荷神社は、大師河原村の名主池上太郎左衛門幸豊が当地池上新田を開発、新田の鎮守として宝暦11年(1761)に創建したといいます。当社の祭神としても祀られている池上太郎左衛門幸豊は、当地開発の他にも製塩・茫硝(火薬の原料)・ナシやブドウの栽培・砂糖の製造などを興し、川崎を発展した人物です。
新編武蔵風土記稿による汐留稲荷神社の由緒
(池上新田)
稲荷社
村の東大師河原村鹽濱を隔てゝ飛地あり、其邊にたてり、山城國藤森稲荷の神體を勧請せしと云、里正太郎左衛門持(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による汐留稲荷神社の由緒
宝暦十一年(一七六一)の創立である。由緒は詳かでないが、池上新田一村の守護神として勧請せられ明治六年十二月村社に列した。昭和二十年四月十五日空襲に依り焼失、昭和二十七年七月二十七日社殿を再建した。(神奈川県神社誌より)
汐留稲荷神社所蔵の文化財
- 池上幸豊翁之碑
池上幸豊翁之碑
池上太郎左衛門幸豊は、江戸時代後期に活躍した人で、享保三年(一七一八)に橘樹郡大師河原村(現・川崎区)で生まれました。
池上氏は日蓮宗の本山の一つえある池上本門寺を寄進した信心の篤い家系で、幸豊の曽祖父である幸広の代に大師河原に移り住むようになりました。
幸豊は十二歳で父親を亡くし、その跡を継いで大師河原村の名主になりました。当時の大師河原は田畑の少ない場所で、幸豊は、埋め立てによる新田開発を何度も幕府に願い出ましたが、なかなか許可されず、七年の歳月を経た、宝暦二年(一七五二)になって、やっと認められました。埋め立ては、まず砂の集まりやすい場所に丸太を打ち込み、笹を立てて砂を集め、そこに葦(イネ科の植物)を植えて砂が流れないようにし、それを徐々に広げていく「笹出し」と呼ばれる方法によって進められました。こうして六年もの歳月を費やして十四町五反余(約十四・五ヘクタール)の新田を開発し、宝暦十二年(一七六二)には、「池上新田」と名付けられた一つの村になりました。
幸豊は新田開発のほかにも、寛政十年(一七九八)に八十八歳で天寿を全うするまで、製塩・茫硝(火薬の原料)・ナシやブドウの栽培・砂糖の製造など、多くの産業を興し、川崎が発展していく基礎を築き上げました。(川崎市教育委員会掲示より)
汐留稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 神奈川県神社誌