小倉杉山大神。小机城主笠原氏・領主旗本松下氏も崇敬
小倉杉山大神の概要
小倉杉山大神は、川崎市幸区小倉にある神社です。小倉杉山大神の創建年代は不詳ながら、当地周辺は古くより拓け、当社も古くよりの鎮座だといいます。戦国時代には小机城主笠原氏の崇敬を、江戸時代には領主旗本松下氏の崇敬を受け、小倉村の総鎮守だったといいます。
社号 | 杉山大神 |
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祭神 | 五十猛命、天照大神 |
相殿 | - |
境内社 | 道祖神社 |
祭日 | 10月18日 |
住所 | 川崎市幸区小倉1-4-6 |
備考 | - |
小倉杉山大神の由緒
小倉杉山大神の創建年代は不詳ながら、当地周辺は古くより拓け、当社も古くよりの鎮座だといいます。戦国時代には小机城主笠原氏の崇敬を、江戸時代には領主旗本松下氏の崇敬を受け、小倉村の総鎮守だったといいます。
新編武蔵風土記稿による小倉杉山大神の由緒
(小倉村)杉山社
村の東北の端にあり、本社に覆屋あり、前に石の鳥居あり、本地不動二尺許の立像なり、村の總鎮守なり、無量院持。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による小倉杉山大神の由緒
創建の由来は詳らかでないが、境内に古松の神木二株あり、樹齢一千年に近いと推定される。安閑天皇記に橘花駐屯と見えるが現在の小倉村はその遺名であろうか。此の小倉村の北方に市坪という地名があるのは条里制の遺構ともいわれる。又、隣接する御宅郷も古郷であり、これら上代自然村落生活の中心が当神社であったとも考えられる。戦国時代に至り、此の地方の勢力拠点たる小机城に笠原氏があり、杉山大神は此の笠原氏の崇敬を受け屡々代参があったという。江戸時代には小倉村は旗本松下氏の采地となり、毎年米三俵の寄進をうけ、庄屋組頭等の肝煎に依って神社は維持された。領主松下氏は時に乗馬して参詣したと伝える。
現在祭事の特殊慣習に大番頭、小頭役が一年祭礼に関し一切を司る風習があり、村民一代一度の重事と信ぜられている。これは陣屋の慣習の名残りで、古く宮座の組織の存在も推定される。
尚新編武蔵風土記橘樹郡川崎領の条に「杉山社、村の東北端にあり、本社に覆屋あり、前に石の鳥居あり、本地不動、長さ二尺許の立像なり、村の総鎮守なり、無量院持」とあり、境内の石造明神鳥居一基(高さ一丈一尺、柱間九尺、笠石一丈三尺)には「天明八年九月北嶺南山玉林沙門覚田建之」との記銘を存する。(神奈川県神社誌より)
境内掲示による小倉杉山大神の由緒
当社の鎮座は古く、飛鳥時代、大化の改新によって国郡制度を敷いた頃より祀られており、近年まで境内地にあった神木樹齢一千年余の二株の古松がその歴史を物語っている。当時、小倉村は、皇室直轄領として栄え、杉山大神は、その村落の守護神として農業生活の中枢となして来た。
戦国時代に至り、北條氏家臣で小机城主であった笠原氏の崇敬を受け、しばしばその代参を迎えた。
江戸時代には、小倉村は、旗本松下氏の領地となり、領主松下氏は、乗馬して参詣したと伝えられ、近年まで鳥居前に下馬札が立てられていた。
新編武蔵風土記には、「杉山社、村の東北端にあり本社は覆屋あり、前に石の鳥居あり、本地不動、長さ三尺許の立像なり、村の総鎮守なり、無量院持」とある。(境内掲示より)
小倉杉山大神の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 神奈川県神社誌