無量院。川崎市幸区にある天台宗寺院

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清水山無量院。准秩父三十四観音霊場

無量院の概要

天台宗寺院の無量院は、清水山満財寺と号します。無量院の創建年代等は不詳ながら、恵海法印(永禄5年1562年寂)が中興したといいます。准秩父三十四観音霊場15番です。

無量院
無量院の概要
山号 清水山
院号 無量院
寺号 満財寺
住所 川崎市幸区小倉2-7-1
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



無量院の縁起

無量院の創建年代等は不詳ながら、恵海法印(永禄5年1562年寂)が中興したといいます。

新編武蔵風土記稿による無量院の縁起

(小倉村)無量院
村の西の方にあり、天台宗郡内駒林村金蔵寺の末、清水山満財寺と號す、開闢の年歴を傳へず、中興は法印惠海永禄五年三月六日示寂。當寺の過去帳に武州品川の僧壽仙坊天文五申年入院云々と載たり、是等をもて考ふれば舊き寺院なるべし、客殿六間に七間東向本尊彌陀坐像長二尺なるを置り。
観音堂。境内の正面にあり、五間四方千手観音立像長一尺八寸腹籠に金佛一寸二分の観音あり、山州清水の観音を模せし行基菩薩の作なりと縁起あれど、取べき事實なく且近き頃なりたるものなれば漏らせり、ここに一株の松あり、昔より今も龍燈上ることあれば是を龍燈の松と名づけりと。(新編武蔵風土記稿より)


無量院所蔵の文化財

  • 庚申塔(川崎市指定文化財)

庚申塔(石燈籠)

中国には道教という思想があり、庚申信仰もその一つとして、平安時代にわが国に伝わり、江戸時代から庶民の間にも広まりました。
庚申信仰とは、六十日ごとに巡ってくる庚申の夜に眠ってしまうと、三尸という虫が体内から抜け出して天に昇り、天帝にその人の罪過を報告するので、庚申の夜は眠らずに、庚申待といって、健康長寿を祈願するものです。そこで庚申塔が、礼拝の本尊として建てられるようになりました。
本庚申塔は、市域に現存する三百余基の中では最も古く、江戸時代の寛文元年(一六六一)に建てられたものです。塔の形態は仏教の法具である燈籠ですが、その竿部に三猿を彫り出し、庚申信仰を表わしています。三猿は、腰を落とした姿勢で正面を向き、右から口・耳・目を塞いで、この世での罪過は「言わざる・聞かざる・見ざる」というポーズをとっています。性別の表現は控え目ですが、右から雄・雌・雄の順に並んでいます。
川崎市教育委員会は、昭和六十三年十一月二十九日、本庚申塔を川崎市重要郷土資料に指定しました。(川崎市教育委員会掲示より)

無量院の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿