下平間天満天神社。菅原道真の七世孫津戸三郎為守が当地に定住、祖先を祀る
下平間天満天神社の概要
下平間天満天神社は、川崎市幸区下平間にある神社です。下平間天満天神社の創建年代は不詳ですが、谷保天満宮の伝記によると、菅原道真の七世孫津戸三郎為守が当地に定住、祖の菅原道真公を祀り一社を創建したといいます。
社号 | 天満天神社 |
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祭神 | 菅原道真公 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例祭日9月25日直近の土日曜日 |
住所 | 川崎市幸区下平間51 |
備考 | - |
下平間天満天神社の由緒
下平間天満天神社の創建年代は不詳ですが、谷保天満宮の伝記によると、菅原道真の七世孫津戸三郎為守が当地に定住、祖の菅原道真公を祀り一社を創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による下平間天満天神社の由緒
(下平間村)天満宮
村の北の方にあり、前に鳥居をたつ。社前に拝殿あり。神体木の坐像にて長1尺2寸余、社邊に松樹数株あり。例祭9月25日小倉村無量院持下同。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による下平間天満天神社の由緒
創立年月不詳であるが、延喜三年菅公筑紫の配所に薨じ給うた後、三男道武公は父の尊像を親ら模刻し、其像を供奉して谷保村に来り、一社を草創してこれを安置したのが当社の起原という。通式の子道英以来六世を経て、津戸三郎為守がこの尊像を奉じて当平間郷に来り、一社を建立して今日に及んだと伝える。(神奈川県神社誌より)
境内石碑による下平間天満天神社の由緒
当社の由来については、創立年代は不詳であるが「新編武蔵風土記稿」に、「当社は村の北方にあり、神体は木の坐像にて長さ一尺二寸余、社辺に松樹数株あり。小倉村無量院の別当なり」と記されている。また、下平間の旧家に伝わる古文書(弘化三年記)によると
、「武州多摩郡谷保村天神社伝記に、延喜三年二月二十三日父君菅原道真公筑紫にて薨去(五十九歳)なされたと聞き三男道武公悲嘆のあまり、父君の尊像を自ら模刻し孝道の誠を尽くされた。その後、道武公その尊像を供奉し、谷保村に来たり一社を草創しこれを安置した。
こののち道武公当地縣主、上平貞盛の女を娶り一子を得、その子を菅原道英と号す。
それより六世の孫津戸三郎為守、菅原道真公の尊像を供奉し、当地(下平間)に来住し一社を建立する」
と記されており、当初は一氏族の、氏神としての性格が強かったようでありますが、年月が経つにつて、下平間の鎮守として祀られるようになり村民の信仰を集め現在に至っている。
また、江戸時代の再建と思われる社殿は第二次世界大戦の末期、昭和二十年四月十五日の川崎大空襲によりことごとく焼失し、かっての面影はない。
しかし昭和四十年九月氏子の寄進により、現在の社殿が再建された。(境内石碑より)
下平間天満天神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 神奈川県神社誌