諏訪神社。諏訪左近頼久が慶長年間創建
諏訪神社の概要
諏訪神社は、川崎市高津区諏訪にある神社です。諏訪神社は、当地を開拓した諏訪左近頼久が、天正18年(1590年)当地に定住、慶長年間(1596-1615)に諏訪大社の分霊を勧請して創建したといいます。明治32年、同地区内の杉山神社、神明社、面足社、稲荷社を合祀、諏訪神社と称したといいます。
社号 | 諏訪神社 |
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祭神 | 建御名方神 |
相殿 | 五十猛命、日本武尊、大日孁尊、保食神 |
境内社 | 浜川神社 |
祭日 | - |
住所 | 川崎市高津区諏訪3-16-48 |
備考 | 旧村社 |
諏訪神社の由緒
諏訪神社は、当地を開拓した諏訪左近頼久が、天正18年(1590年)当地に定住、慶長年間(1596-1615)に諏訪大社の分霊を勧請して創建したといいます。明治32年、同地区内の杉山神社、神明社、面足社、稲荷社を合祀、諏訪神社と称したといいます。
新編武蔵風土記稿による諏訪神社の由緒
(諏訪河原村)諏訪社
村の北の方にあり、諏訪左近頼久が勧請なり、その年代は天正慶長の頃なるべし、頼久が子孫今もこの村にあり、例祭は九月十七日にて杉山明神と隔年になせり、此時明王院の不動をここに奉じ来りて神坐に安ずるを例とす、古は二子坂戸北見方諏訪河原四ヶ村の鎮守なりと、されど今は當村ばかりのにて明王院の持なり。
杉山社
字寺前にあり、大門の入口に木の鳥居を建、例祭はすべて諏訪の社に同じ、是も明王院持
第六天神明合社
字東通りに小祠明王院持なり。
稲荷社
字寺前にあり小祠明王院の持。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による諏訪神社の由緒
当社は当字諏訪部落開発の祖諏訪左近頼久の勧請により、信州諏訪神社よりの御分霊を奉斎する。明治三十二年に、同地区内の杉山神社、神明社、面足社、稲荷社の四社を合祀した。大正三年社殿改築の工を起し翌四年四月正遷宮祭を執行し、今日に及ぶ。昭和三年神饌幣帛料供進社に指定された。(神奈川県神社誌より)
境内掲示による諏訪神社の由緒
信濃国の豪族諏訪安藝守源頼忠の末孫諏訪左近頼久なる者が天正十八年(一五九〇年)主家北條左京大夫氏直の許を離れ此の地に来り慶長年中深く崇拝する信州諏訪大社の大神の分霊を受け守護神としてここに勧請せり。
爾来近郷の鎮守として崇敬され明治三十二年省令に依り諏訪社に杉山社、大陸大社、神明社、稲荷社を合祀し諏訪神社と総称、現在の御社殿は大正初期の造営に成り大正四年四月遷宮祭を執行す。(境内掲示より)
諏訪神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 神奈川県神社誌