明王院。玉川八十八ヶ所霊場、準西国稲毛三十三観世音霊場、武相不動尊霊場
明王院の概要
真言宗智山派寺院の明王院は、諏訪山圓能寺と号します。明王院の縁起については不詳ながら、古くより当地にあったといい、良識という僧が慶長年間(1596-1615)に再建、寛文8年(1668)に寺号圓能寺から院号明王院を通称するようになったといいます。玉川八十八ヶ所霊場30番、準西国稲毛三十三観世音霊場8番、武相不動尊霊場4番です。
山号 | 諏訪山 |
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院号 | 明王院 |
寺号 | 圓能寺 |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 川崎市高津区諏訪3-14-3 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | 明王院實輪殿 |
備考 | - |
明王院の縁起
明王院の縁起については不詳ながら、古くより当地にあったといい、良識という僧が慶長年間(1596-1615)に再建、寛文8年(1668)に寺号圓能寺から院号明王院を通称するようになったといいます。
新編武蔵風土記稿による明王院の縁起
(諏訪河原村)明王院
村の中央にあり、新義真言宗同郡小杉村西明寺の末なり、諏訪山圓能寺と號す、客殿七間に五間半南向、本尊不動の坐像二尺なるを安置す、又不動一尺二寸許なるあり、是は諏訪杉山兩社祭禮の時出せり、開山開基詳ならず、古は西明寺門徒にてありしが、寛保元年住持盛賢の時本寺の住僧隆真より免許ありて末寺となれり、元禄四年當寺の来由を書上し書に云、開山の僧は年久しきことにて詳ならず、中古は定りたる住持もなくして、堂宇大破に及びけるを、慶長年中良識と云僧住して再建せりと、村の水帳には圓能寺と記したりしが、寛文八年より今のごとく明王院に改めたりと、
観音堂。客殿に向左の方にあり、二間半に二間、東向本尊は立像にて長一尺許なるを安置し、側に閻魔の像二尺二寸なるあり、共に作しれず。(新編武蔵風土記稿より)
明王院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿