五反田神社。鎌倉時代創建の伝承、旧山王社、上菅生・下菅生・五段田村の総鎮守
五反田神社の概要
五反田神社は、川崎市多摩区三田にある神社です。五反田神社の創建年代等は不詳ながら、鎌倉時代の創建と言い伝えられ、山王社と号して上菅生・下菅生・五段田村の総鎮守だったといいます。江戸期に村内での争いにより、当社は上菅生のみの鎮守となったといいます。明治元年祭神を素盞鳴尊に改め八雲神社と改号、小田急線開通に伴い昭和元年当地に遷座、昭和34年杉山社を合祀して五反田神社と改号したといいます。
社号 | 五反田神社 |
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祭神 | 日本武尊、素盞鳴尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例祭日九月十八日 |
住所 | 川崎市多摩区三田1-2-10 |
備考 | - |
五反田神社の由緒
五反田神社の創建年代等は不詳ながら、鎌倉時代の創建と言い伝えられ、山王社と号して上菅生・下菅生・五段田村の総鎮守だったといいます。江戸期に村内での争いにより、当社は上菅生のみの鎮守となったといいます。明治元年祭神を素盞鳴尊に改め八雲神社と改号、小田急線開通に伴い昭和元年当地に遷座、昭和34年杉山社を合祀して五反田神社と改号したといいます。
新編武蔵風土記稿による五反田神社の由緒
(上菅生村)山王社
村の南字長澤谷にあり、小社にして覆屋あり、社前を距ること一町餘にして鳥居を立、祭禮年々八月二十日神酒を供す、廣福寺持當社勧請の年代は詳ならざれども古き社なるべし、相傳ふ古は上下菅生及び五段田村等の惣鎮守なりしが、昔年祭禮の日百姓等争闘のこと公訴せしかば是がために郷村の困窮大方ならず、これより村々思ひ思ひにわかれて別に鎮守をさだめしにより、自ら此社は衰微に及べり、この邊は五段田入會の地なれば、今に社修造のときは五段田にて修理せりと云。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による五反田神社の由緒
古伝には、鎌倉時代の創始と伝える。旧時は山王社と称したが、明治元年三月祭神を素盞鳴尊と改め社名を八雲神社と号した。昭和初年小田急線開通の際現在地に遷座、昭和三十二年十二月増改築して、同三十四年十月村内杉山社を合祀して五反田神社と改名し今日に及ぶ。此の地の鎮守とする。(神奈川県神社誌より)
五反田神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 神奈川県神社誌