長尾神社。旧五所権現社、長尾村の鎮守社
長尾神社の概要
長尾神社は、川崎市多摩区長尾にある神社です。長尾神社の創建年代等は不詳ながら、五所権現社と称し、長尾村の鎮守社だったといいます。当社に隣接して五所塚があることから、当社の創祀は古く遡るのではないかといいます。長尾字長峰の赤城神社を明治40年合併して長尾神社と改称したといいます。
社号 | 長尾神社 |
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祭神 | 国常立命、大己貴命、大日孁命、天忍穂耳命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例祭日9月15日 |
住所 | 川崎市多摩区長尾3-10-1 |
備考 | - |
長尾神社の由緒
長尾神社の創建年代等は不詳ながら、五所権現社と称し、長尾村の鎮守社だったといいます。当社に隣接して五所塚があることから、当社の創祀は古く遡るのではないかといいます。長尾字長峰の赤城神社を明治40年合併して長尾神社と改称したといいます。
新編武蔵風土記稿による長尾神社の由緒
(長尾村)
五所権現社
河原長尾の南にあり、村内の鎮守なり、此邊を権現堂と唱へり、祭神及勧請の年歴を詳にせず、例祭正月五日なり、昔は流鏑馬の式を行ひしと云、今は僅に其かたはりを存せり、射手二人介副二人にて、桃の弧竹の矢を以各一手づつを射る、土人は猶是を流鏑馬と唱ふ、此外九月十四日にも祭をなせり、村内妙楽寺の持。
赤城社
谷長尾の中央にあり、神體木像長一尺許、是も村の鎮守なり、正月七日祭事あり、又九月十四日にも行はる、是等の祭事何れも五所権現と同じ、其中九月十四日の祭は五所権現と隔年に行へり、村内等覺院持。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による長尾神社の由緒
長尾神社は同字西高根の最高所に鎮座し、もと五所神社と称した。旧別当は長尾山妙楽寺である。同寺が火災にあったため記録類を焼失し、創立年代等不詳であるが、神社の南側に五つの古塚があり五所塚と称し神社も五所神社と称せられていたところから、この古塚の存在と神社創立とは深い関連があると見られている。なお又、口碑によれば、昔毎年正月五日に行なわれた当社の流鏑馬神事の際、騎手となった稚児の一人が落馬死亡したのを悲しんだ人々が、亡骸を右の五所塚の近くに葬り松を植えた。それが後年銘木稚児の松となったと伝えられている。明治四十年十二月二十七日、長尾字長峰の赤城神社を合併して長尾神社と改称した。(神奈川県神社誌より)
長尾神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 神奈川県神社誌