長沢諏訪社。枡形城の西方にあたる当地に信濃国諏訪大社の御分霊を勧請
長沢諏訪社の概要
長沢諏訪社は、川崎市多摩区長沢にある神社です。長沢諏訪社の創建年代等は不詳ながら、右大将源頼朝の命により稲毛三郎重成が枡形城の西方にあたる当地に信濃国諏訪大社の御分霊を勧請したとも、室町時代に各務与惣右エ門が甲州より当地に土着して故郷の諏訪明神を祀ったともいいます。明治43年神明社・日枝社を合祀したといいます。
社号 | 諏訪社 |
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祭神 | 建御名方命 |
相殿 | 天照大神、大已貴命 |
境内社 | - |
祭日 | 9月7日 |
住所 | 川崎市多摩区長沢4-7-1 |
備考 | - |
長沢諏訪社の由緒
長沢諏訪社の創建年代等は不詳ながら、右大将源頼朝の命により稲毛三郎重成が枡形城の西方にあたる当地に信濃国諏訪大社の御分霊を勧請したとも、室町時代に各務与惣右エ門が甲州より当地に土着して故郷の諏訪明神を祀ったともいいます。明治43年神明社・日枝社を合祀したといいます。
新編武蔵風土記稿による長沢諏訪社の由緒
(五段田村)
諏訪社
字長澤にあり、その所の鎮守なり、勧請の年代を詳にせず、本社は宮作にて覆屋あり、諏訪大明神の五字を扁す、天海書とあり、例祭は年々九月十六日なり、盛源寺持。
神明社
字中澤にあり、これも長澤の鎮守なり、本社は宮作にて覆屋あり、前に坂あり、例祭八月七日諏訪の社と隔年に行はる、菅生村廣福寺持。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による長沢諏訪社の由緒
室町時代に甲州の人、各務与惣右エ門がこの地に土着し、故郷の諏訪明神を慕って創建したものという。(神奈川県神社誌より)
境内掲示による長沢諏訪社の由緒
諏訪社は文治三年(一一八七年)九月七日右大将源頼朝の命により稲毛三郎重成の創祀とされています。稲毛三郎重成の居城枡形山の西方にある高燥の地に諏訪社を造り、信濃国諏訪大社の御分霊を勧請し永くこの地の鎮護をなしています。
後の明治四十三年十月七日に神明社と日枝社が当社と合併し合祀されました。
現在の社殿は明治二年八月建立の社殿が老朽化した為、氏子総意によって昭和五十二年(一九七七年)四月再建されたものです。
この社殿内には小野子町が舟上より短冊を海に流している額が掛けられており、里人はこれを「雨乞いの額」と呼んでいます。(境内掲示より)
長沢諏訪社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 神奈川県神社誌