菅八雲神社。悪疫が流行した江戸時代、福泉寺境内に創建
菅八雲神社の概要
菅八雲神社は、川崎市多摩区菅にある神社です。菅八雲神社は、悪疫が流行した江戸時代、福泉寺境内に創建したといい、福泉寺が廃寺となった後、八雲神社として独立したといいます。
社号 | 八雲神社 |
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祭神 | 素盞鳴尊 |
相殿 | 寄稲田姫命・倉稲魂命 |
境内社 | - |
祭日 | 7月18日 |
住所 | 川崎市多摩区菅2-18-15 |
備考 | - |
菅八雲神社の由緒
菅八雲神社は、悪疫が流行した江戸時代、福泉寺境内に創建したといい、福泉寺が廃寺となった後、八雲神社として独立したといいます。
新編武蔵風土記稿による菅八雲神社の由緒
新編武蔵風土記稿には八雲神社(牛頭天王社)に関する記述が菅村にはありませんが、福泉寺に関する記述を下記に掲載しておきます。
(菅村)福泉寺
小澤城跡の下芝間耕地にあり、臨済宗にてこれも壽福寺の末寺なり、小谷山と號す、開山開基詳ならず、客殿六間に五間東向なり、本尊彌陀の坐像長一尺餘。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による菅八雲神社の由緒
江戸初期、悪疫が天下に流行した為に、祇園の牛頭天王を奉斎したのが、鎮座の始まりと云う。(神奈川県神社誌より)
境内による菅八雲神社の由緒
當社は鎌倉時代の創建と云う。旧時は天王社と唱え、祇園牛頭天王を祭り、仙谷山寿福寺の末寺小谷山福泉寺(應永年間創立)の境内にあり、福泉寺廃寺後は神社として独立し、西菅部落の崇敬をうけ、明治元年六月〇日神佛分離令により、祭神を素戔嗚尊と定め八雲神社と稱し菅村上下の崇敬をうけ今日に至り、現在菅氏子会の所管となる。(境内掲示より)
菅八雲神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 神奈川県神社誌