子母口富士見台古墳|弟橘姫にまつわる伝承
子母口富士見台古墳の概要
子母口富士見台古墳は、川崎市高津区にある名所旧跡です。子母口富士見台古墳は、道路整備に削り取られてしまっているものの、現在残っている墳丘径17.5mの古墳です。子母口富士見台古墳は、橘樹神社の北側100mほどの地点にあり、弟橘媛に関わる古墳ではないかとも伝えられています。
名称 | 子母口富士見台古墳 |
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みどころ | 神奈川県指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 川崎市高津区子母口54-173富士見台公園 |
備考 | - |
子母口富士見台古墳の由緒
子母口富士見台古墳は、道路整備に削り取られてしまっているものの、現在残っている墳丘径17.5mの古墳です。子母口富士見台古墳は、橘樹神社の北側100mほどの地点にあり、弟橘媛に関わる古墳ではないかとも伝えられています。
川崎市教育委員会掲示による子母口富士見台古墳について
子母口富士見台古墳
この古墳は、道路に面した麓部が大きく削られていますが、築造当初はかなり大きな円墳であったと思われます。
現在の規模は、墳丘高三・七メートル、墳丘径十七・五メートルです。
この古墳には、古くから弟橘媛にちなむ話が伝えられています。橘樹神社の社伝では、日本武尊東征の際、尊の身代わりに海中に身を投じた弟橘媛の御衣・御冠が、この地に漂着したと伝えています。
また、「古事記」では「かれ七日ありて後に、其の后の御櫛海辺によりたりき。すなはち其の櫛を取りて御陵を作りで治め置きき」と伝えています。
真偽のほどはともかく、この古墳にまつわる話として興味深いものがあります。(川崎市教育委員会掲示より)
子母口富士見台古墳の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 神奈川県神社誌